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高等教育者は、悪いリストラ に立ち向かえるのか?

[前々回の記事]大学だけが人生でない
[前回の記事]大学のリストラがはじまるようだ


いくら「大学は必要なんだ!」、「地域に不可欠だ!」と叫んでみても、それは今までも多くの人が叫んでいたことで、ある意味リストラされる側のテンプレでしかないでしょう。


と前回の記事に書いたのですが、要するに私としては「あまり細部には入り込みたくなかった」ということなのですが、Xで興味深い議論にもなったのでちょっと突っ込みます。


良いリストラと悪いリストラ


今の日本はざっくり言って、「30年リストラし続けて、さらに状況が悪くなり、今は大学の番(が目立つ)」ということになります。
風が吹けば桶屋が儲かるではないですが、失われた30年の結果、子供の数が減り、今大学の数が減ろうとしています。


前回私は、「就職氷河期世代の人材の質の高さには、高等教育の拡大も一定程度寄与していたのではないか」という仮説を書きました。
それが正しければ「その大学が減り、学生の選択肢が無くなればさらに日本人の人材の質が下がるのではないか?」という問いはYESということになるかと思います。


もっとも、少子化ということで大学が減っても減らなくても、残念ながら日本人の人材の質は低下しているようですが、それに拍車がかかるということです。


いずれにしても、


大学を減らす → 人材の質が下がる → 国際競争力が低下する → 所得が下がる → 少子化が進む → 大学が定員割れを起こす。


となるかということになるかと思います。


つまり、この30年の「デフレスパイラル」が、「人口減少スパイラル」に変化したともいえるでしょう。


日本の場合、リストラすれば状況が良くなるということではなく、さらに問題が悪化してきました。なぜでしょう?


リストラが行われた場合、傾向として「能力の高い人から辞めていく」というのがあります。日本の場合、終身雇用となっており、ある意味、頑張れば会社に残ることができます。
結果として、能力の低い人が会社に残ることになります。そして業績がさらに落ち、さらにリストラをするという悪循環になっていました。


これで、会社が潰れ、新しい会社が興ればむしろ良いのですが、残念ながら日本の場合、「能力が高いからと言って必ずしも転職や起業が成功しない」ということもありました。これは村社会ともいえることで、能力の高い人が起業しても取引をしないということがあります。
私の場合は、会社を辞めてどうなったかというと、流れ流れて幸運にも外資系の企業と取引をするようになりました。


独立後、あるとき、そこそこの規模の日本の企業と取引をしたのですが、営業担当と話をしたときに、彼の「そうか零細企業なのね。じゃ幾ら俺にバックをくれるんだ。」というようなあからさまかつ日本的なやり取りがありました。搾取しようとしたのが見え見えで、私としてはフェードアウトさせていただきました。


このように日本の場合は、悪いリストラが行われたということになります。


では、良いリストラとは何でしょうか?
外国の企業の場合、「経営が悪くなれば先ずは経営者が変わる」ということが行われます。最近の例では、一昨年末にインテル社のCEOが変わりました。私も身近に「社長が切られた現場」を見てきました。こういうある種、合理的かつ責任の所在がはっきりしている現場では、経営者が変わることにより業績が上向く可能性もありますので従業員がリストラされることもないでしょう。経営者が変わっても業績が上向かないということは「市場の失敗」ということでシュリンクするしかないですが、責任の所在や状況がはっきりとしているので最終的にリストラされる労働者の方も納得感はあったかと思います。


つまり、一律に数を減らすのではなく、責任の所在をはっきりさせることにより、リストラされるべきところをリストラし残さないとダメなところは残すということが行われます。


日本の場合は、責任の所在がはっきりしないので、結局一律カットということが行われます。大学の場合だと、やはり政府の役人がまずは責任をとる必要があるかと思います。


もちろん、個別の企業では、日本でもキチンとしたリストラをやっていたり外国企業でも経営者が居座るということもあるでしょうが、国全体としてみれば日本は残念ながら悪いリストラの方が多かったということが言えるでしょう。


要するにリストラにも良い悪いがあり、


良いリストラ:責任の所在とカットの理由が明確、悪循環になる恐れがない。
悪いリストラ:責任の所在が不明確、一律のカット、良い人材から抜ける、悪循環になる恐れがある。


ということです。


問題意識がある人と分かっていない人


大学を減らせというと、条件反射的に拒否反応をする人の中に混じって、ある程度、状況を理解していると感じた投稿もあります。
このままいくと、問題意識がありかつ物分かりのよいある意味、再建に適した人材から辞めていく恐れがあるでしょう。そうすると回りまわって・・・ということになります。
この悪循環を止めるのは、責任の所在をはっきりさせながら、適切な人材が大学に残るようにする必要があるでしょう。


一方で、条件反射的に拒否する人は、現状維持では何も解決しないことを理解された方がよいかと思います。


例えば下記のような投稿をする人には、「見識とは何ぞや?」と考えさせられます。


『Fラン潰せ論でクソリプ投げてくる人の言動・見識が現実のFラン学生以下で、やっぱりFラン要るなって気持ちになってる。』


上記の投稿には、ある種の歪んだエリート意識が垣間見えます。


実は、私が大学をやめた別の理由に『学生の意識の低さ』がありました。確かに当時の大学の進学率は20%程度で、大学に入れば就職できる「レールに乗れる」という空気があり、ある種の『間違ったエリート意識』がありました。思考を停止して『これでいいんだ』というおめでたい人達がちょうど『内定取り消し』の時期にあたり文句を言っていたことを思い出しました。


誰にでも高等教育をという理想を実現するには?


Xでの議論になったのは、「誰にでも高等教育を!」という発想が見えたので聞いてみたらそのとおりだったということです。


私が高校に入学して、初めての三者面談で先生から言われたことが、「うちの学校からは大学は行けません」という話でした。
確かに今は「大学全入時代」ということで、「誰にでも高等教育を!」ということでそれはそれで理想が実現したかと思います。


一方、現実をみますと、就職氷河期やリストラというのが多くの日本人を苦しめてきた事実があります。
このような方達は今の「誰にでも高等教育を!」と言っても白けてしまうだけでしょう。「パンが無ければケーキを」に近い違和感を感じることでしょう。


大学の関係者は、まさにリストラを目の当たりにした今、就職氷河期やリストラが、如何に多くの日本人を苦しめてきたか?というものを実感し、今こそ、その知性を発揮して、「責任の所在の追求と破滅的なスパイラルの停止」に尽力するのが筋かと思います。


そういう力を持った方達から理想的な高等教育を受けた学生は日本を復活させることができるでしょう。


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2026-05-09 | コメント:0件

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