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AI時代のプログラミングスクールとの付き合い方 Part3 -私のスクール経験(プログラミング、英語)について-

前回に続き、私自身のスクール経験(プログラミング、英語)について書いてみたいと思います。
 プログラミングに関しては、学校に通ったことはないです。一方で、英語(通訳案内士)に関しては学校(複数)に数年間通いました。


プログラミングの学習について


 私は14歳のときからプログラミングを始めました。3か月でベーシックを学んで、次の3年でアセンブラを学びました。
 学校に通わなかったのは、お金がないこともあるのですが、「十分な学習時間が確保できた」と「向いていた」ということが大きいです。大学に入る前にほぼ毎日2,3時間ずつ4年以上学びました。
 自己学習ということは、本を読むことになりますが、私が本に書いてあることがまぁまぁ理解できました。今から思うと「向いていた」ということに尽きます。もちろんですが、一回読んでもわからないこともあり何回も読んで「どうなっていんだ!」と考えたこともありますが、突き詰めると、本に書いてあることが分かったという経験は、独学を行う上で重要です。
 本の良さの一つですが、「一定のクオリティが期待できる。」というのがあります。本という一定の分量の文章を書くというのは結構大変です。ネットに「つぶやかれた」ような文章とは質については一線を画しています。さらに著者一人が書いているだけでなく編集者のチェックが入ります。チェック自体は最低限ですが、「書きっぱなし」の文章とは異なります。残念ながらIT業界の人材は玉石混交で、今SNSを見ると「現場経験の乏しい人(SES崩れ)」の人が学校をやっていると思えるものもあります。実は、IT人材にばらつきがあるのは昔からで、例えばこの記事では10年前にもあまり質の良い記事を書いていないことを指摘しています。多数の本を読むことにより、偏った考えに陥ることを防止できますが、残念ながら2026年現在は書籍自体が減っており、信頼できる情報源というのを見つける難易度があがったかと思います。。
 ちなみに脱線しますが、私はもともと国語力がなかったのですが、技術文書の読書をとおして読解力が付いたのも大きいです。そういう意味でも「独学の利点」をあげられます。
 私は現役の時は大学を途中で辞めたのですが、35年ほど前の当時、既に大学には情報系のコースがあったかと記憶しています。しかしながら大学でプログラミングをマスターして就職するというコースはあまり一般的ではありませんでした。むしろ大学を辞めた人がプログラマーとして就職するというのは日本では割とポピュラーでした。一方で、アメリカで就職しようとすると”コンピューターサイエンスの学位または同等の資格”というが必須なようです。
 学校には通いませんでしたが資格はとりました。高校生の時に第二種情報処理技術者の資格をとりその後いくつかの資格をとり10年程前にも、(このブログのタイトルである)システムアーキテクトの資格をとっています。


英語学習について


 英語については、私の実力は壊滅的でした。本を読んでも「で?」としか分かりません。文法書を読んでも良く分からず、改めて振り返ると「英語については向いていなかった」ということが言えます。特に厄介なことは、英文を読むと10分ほどで脳が限界を感じます。コンピューターの本なら何時間でも読めるのですが、英文となると体が拒否反応を起こします。これではダメということで学校に通い出しました。足掛け10年以上、学校に通いました。ただ、週1回で学校に通うだけでは、一向にしゃべれるようになりませんでした。学校はあくまでも学習の習慣づけが基本になります。実は英語勉強の基本的な考え方(反復練習が大事、文法より文脈)については学校で習いました。
 加えて、語学留学も行いました。2026年現在、英語の学校に通うことについては賛否があるでしょうが、語学留学や大学への留学に関してはお勧めいたします。言葉というのはなるべく大勢の人とやり取りをする方が、つまり数をこなした方が上達するかと思います。
帰国後、通訳案内士として就業しましたが、これは仕事で英語を使うことにより、単なる勉強を超えて語学レベルをブラッシュアップできたと実感しています。


向き不向きについて


 向いている向いていないに関係なく、一定技術を習得するには「質より量」という側面があります。私はITエンジニアとしても通訳案内士としても大体、5,000時間程度勉強していますが、結局のところ「どれだけ自分で勉強したか?」になります。学校に行くということは「独学で勉強できないから」ということに尽きるかと思います。勉強時間は個人差はあるかと思いますが、5,000時間を目安として頑張れば、学習前とは違う景色がみられるかと思います。


 伝統芸術や伝統工芸でよく「師匠から教えてもらえない」ということがありますが、これについては今なら良く分かります。技術は教えてもらうものではなく、自分で学ぶものだということです。


 印象深いことがありまして、炎上プロジェクトの助っ人をやっておったときのことです。担当者に対して色々説明を行っていたのですが、彼は相槌をうつだけで、一向に私の説明を理解していませんでした。少々腹がたったのですが、ちょうどその時に通訳案内士の学校に通っていたのですが、当時の私としては内容がかなり高度になりまして、私自身も相槌をうつだけで説明が頭に入ってきませんでした。「向いていないということはこういうことか」と実感したものです。


 もっとも、向いている向いていないは学習の進み具合に関係しますし、プロとして活動するようになってからも差が出てきますが、「向いている=プロとして優秀」というのは少し違うかと思います。私も炎上プロジェクトの当事者になって挫折も味わいましたし、プログラマとしては向いているかもしれませんが、企画やスケジュールを立てることは苦手(向いていない)です。画面のデザインも不得意です。結局、細かく検証していくと「業務に関して全方位的に向いている」という人は現実としていないのではないかと思います。ITエンジニアとしても長所・短所があり通訳案内士としても長所・短所があることになります。
 英語については向いていませんし、今でも「向いていない」と時々感じることですが、こちらも仕事をする上ではあくまでも一要素ということになります。「通訳案内士」は外国語で話をするのはそうなのですが、特に英語の場合、「ネイティブのように」というのは場合によりけりで、イギリス英語なのか、アメリカ英語なのか、西なのか、東なのか、非英語圏の人なのか、と様々あり、よく言われる「ネイティブ信仰」というのは必ずしも当てはまりません。(もっとも私はアメリカの西海岸に留学したのでカルフォルニアあたりから来た人は「うまいね」と確かに言われ、フランスからの人は「?」といわれます)。通訳案内士というのは実際にお客さんと同行して案内するのでいわゆる旅程管理という業務もになっており、さらにはお客さんは「日本人の意見が聞きたい」とか「日本のドラッグストアに行きたい」とかいろいろな要望に応える等、複合的な職業ということもあります。こちらも「英語の向き不向き」だけでは実力は測れないかと思います。ということで翻訳や通訳はともかく通訳案内士については、しばらくはAIにとって代わられないと思っています。


メンターについて


 メンターについてですが、英会話の先生については、あくまでも先生ということでそれ以上何かきくことはありませんでした。通訳案内士の学校の先生についてはある程度、メンターの役割もあったかもしれませんが、生徒が複数おり、あくまでも授業を聞くというところ以上のものはありませんでした。いずれの先生も感謝はしているのですが、メンターとまではいきませんでした。


一方で、ITエンジニアとしても通訳案内士としても仕事をやりだしてからは、数名ほど尊敬できる先輩(メンター)がいたのは事実です。が、残念ながら不徳の致すところで深い付き合いとはなりませんでした。もっともITエンジニアとしても通訳案内士としても自立した専門家になるということはメンターからは卒業という意識もありました。


プログラミング学習と英語学習の違い


 せっかくなので、プログラミング学習と英語学習の違いについても触れたいと思います。一番大きな違いは、「プログラミング学習は主に考えること」であるのに対して「英語学習はとにかく量(習うより慣れろ)」につきます。
 もちろん、どちらにしても「授業を受ける。先生の話を聞く」ということを否定はしませんが、プログラミングの場合、ある意味芸術家のように「あーでもない、こーでもない」と悩むこと自体がプログラマとしての基礎練習になります。私としては「オブジェクト指向おじさん?」の記事は、単に記事を読んで納得するのもいいし、異論や反論をする。つまり記事を読んで考える行為そのものが、エンジニアの成長のきっかけになると思います。
 一方で、英語の場合、考えるより鵜呑みにしてもよいので覚える行為が重要かと思います。実は、「自動詞と他動詞を考え直す(Part2)、日本人にとっての自動詞と他動詞の恐ろしさ」この記事自体は読み物としては面白いかと思いますが、「英語学習」にフォーカスを当てるとあまり意味がないです。おそらく英語の上級者はこの記事を読んで「で?」と思うと思います。この記事でも指摘しているとおりネイティブでも間違う(というか辞書どおりでない)というのは、日本人が日本語を話すときに細かい理屈を知らないことと似ています。「では何でこんなことを考えるのか?」ということですが、こういう理解というのは一種の精神安定剤的に作用します。つまり、「なんで自分ができないのか?自分が勘違いをしているのではないか?」という不安を解消するために使うと有効かと思います。直接的な学習効果はないが一種のサプリメントということができます。


2026-01-04 | コメント:0件

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