RYZEN

2020年もすっかり明けて2月になりましたが、年明けに10年ぶりにPCを更新しました。
ちょうど10年ほど前に、購入するPCの世代を統一しようと初代Core i7でソケット1366に決めたのですが、そこからCore i7-980Xを3つ程とi7-920を入手し4台のPCがあるわけですが、その後継ということでZEN2世代のRYZENに決めました。
Core i7を買ったときはちょうどWindows7に乗り換えた時でそこから8,10ときて、ここ2,3年は自分のPCがもっさりしていてグラフィックカードを変えたりしていましたがやっとこさ全とっかえができました。

今回はインテルからAMDに乗り換えたのですが、長いPC歴でちょこちょこAMDを使っています。今までメインマシンで使ったCPUを思い出すだけ書き出すと、こんな感じになります。

1984 (不明)ポケコンPB110
1985 uPD780(Z-80相当品) NEC
1989 80286相当品 AMD
1989 V30 NEC
1992 i486SX(J) Intel
1994 Am486 SX2-66 AMD
1996 Pentium 133 Intel
1997 MMX Pentium 166 Intel
1998 K6 AMD
1998 K6-2 AMD
1998 M2 Cyrix
1999 K6-III AMD
2000 Pentium III 600 Intel
2000 Pentium III 1000 Intel
2002 Celeron 1.4(PentiumIII系) Intel
2003 Celeron 2.3(Northwood-128K) Intel
2003 Pentium4(Northwood) Intel
2004 Athlon 64 3000+ AMD
2006 Pentium D 805 Intel
2006 Core 2 DUO E6400 Intel
2008 Xeon X3350(Core 2 Quad) Intel
2009 Core i7 – 920 Intel
2010 Core i7 – 980X Intel
2020 RYZEN9 3950X AMD

年号は大体ということで割といい加減です。その時の懐事情と趣味とその他諸事情で買い集めたり絞ったりしていましたが、こうしてみると2010年代のスキップぶりが半端ないですね。Core i7についてはSandy Bridge世代でそろえればよかったと少し後悔して、AMDからZenマイクロアーキテクチャが出る噂を聞きつけたときに様子見をしてZen2になったところで「行こう!」となった感じです。

話は戻って、初めての16ビット、32ビット、64ビットCPUは、AMDになります。初めての16ビットパソコンはPC-9801RXでしばらくはIntelを使っていると思っていたのですがあるときに中を開けてみたらAMDのCPUでした。よくよくカタログをみたら80286相当品と書かれていてものすごくがっかりした記憶があります。初めての32ビットCPUは、i486SX(J)と思いきや、このCPUは外部バス16ビットで、それを初めて知った時のがっかり感は半端なかったです。そのあとに買ったパソコンが今はなきコンパックのPresario CDS 524でこちらもメモリの増設で筐体を開けた時にみたらAMDでまたもやがっかりした記憶があります。その後、懐事情が改善し自作に移行して狂ったように買いましたが、初めてのDual-processor, Dual-core, Quad-core, Hexa-core はIntelになります。
RYZEN9は、初めての16-core(書き方を探すのが面倒)、PCI-E Ver4.0(Ver3.0はスキップ)、DDR4-RAM、UEFIです。利用面からは、初めてのCPUプロファイラ(AMDuProf)を使うプロセッサになります。CPUはキャッシュミスとか分岐予測ミスとかが発生すると内部のカウンタで記録をとるのですが、それを読み出すソフトウェアがCPUプロファイラということになります。有名どころではIntelのVTuneがあるのですがこのソフトがめっぽう高くCPUと合わせての購入となると個人では手が出しにくいです。AMDの方はなんと無料ということでまぁAMDということになりました。
そんなものを何に使うのか?と言われそうですが、もちろんADPのインタプリタ部分で、当初はVisualStudio付属のプロファイラを使って最適化を行っていましたが、いろいろ私に合わず、『V-Tuneかー』と思っていたところへ、CodeXL(AMDuProfの前身)の存在を知り、CodeXLに乗り換えたのが5年ほど前になります。CPUがIntelの場合、プロファイラは命令毎にかかった時間が分かるのですが具体的な原因(キャッシュミスなのか?ブランチペナルティか?とか)までは分からずそのあたりは手探りになっておったのがこれでばっちりと分かるようになります。早速プロファイルをしてみると、

パットと見てよくわからない指標があるのでカウンタの意味についてはお勉強が必要なようです。例えばハイライト部分はただの代入になるのですが、それでなぜRet branchとかが関係するのか?(おそらく他のブランチとの関係で結果的に実行された/なかったとか言いたいのかもしれないのですが・・・)とか直接的でないところがあります。

ここにきて、ADPの実行ファイルサイズは約1MBになりますが、今まではプログラムやデータのメモリへの配置はコンパイラに任せていましたがそろそろそういったところまでも手を出す必要があるのかなと思っています。といっても具体的にどうするのか?という話ですが、先ずCPUプロファイラを使いながら基礎データを集めてその上でソースコードを再編集したり、インタプリタ本体を抜き出してミニマムなプログラムを作ってプロファイルをかけたりいろいろ実験ができそうです。

ちなみにこういった話をすると『じゃアセンブラで組めや!』と言われかねないのですが、まぁうざい煽りに真面目に答えると、要は今のプログラムはCPUの潜在能力を十分に生かし切れていないので工夫の余地があり、上手くいけば数倍早いプログラムが作れるということになり、2020年現在ではシングルスレッド性能で数倍といえば時間軸に置き換えると10年以上先に行けるという話になります。

どういうことかと言いますと、例えば1989年に出たi486DX(33MHz)と2000年に出たPentiumIII(1GHz)の性能比は、単純にクロック周波数で見ても30倍(実際はそれ以上)になります。次いで2010年に出たCore i7-980X(3.33GHz、ブースト3.6GHz)とPentiumIII(1GHz)との性能比は、クロック周波数でみて約3.3-3.6倍と伸び率が10分の1程度に減速しています。そして今回のRYZEN9 3950X(3.5GHZブースト4.7GHZ)とCorei7-980Xはクロック周波数ではブースト時で比較して1.3倍、実際に手元にあるADPのプログラムを動かしてみると整数演算で2倍となっています。つまり、それまでは最新のCPUと言えば以前のCPUより格段に速くなって10年も経てば桁違いの速さを見せたのですが2000年代の中盤頃からそのスピードが止まり、今では10年で2倍のパフォーマンスアップに留まることになります。
つまり今まではプアなプログラムを組んでも時間が経てば解決してくれるのですが、これからはきちんと考えて作らないとダメということになります。

CPUプロファイルの話はこの辺にしておいて、今回もう一つ試したいことがあるのが、仮想マシンの活用で今回、私が使う必要のあるプログラムの一部(eTaxとか弥生会計とか)を仮想マシンの方へ移しました。今までは再セットアップとなるとこれらのソフトを再インストールしなければならなくなり面倒なだけなのですが、それが不要となり気軽に再セットアップができるようになるので便利です。欠点としてはOSやらその他のライセンスがインストールするマシンの台数分必要になることと、RYZEN9 3950X特有かもしれませんがCPUプロファイルとの共存ができない(切替にUEFIレベルで設定変更が必要になる)ことでCPUプロファイルを取りたいときはいちいちマシンを再起動することになります。

オブジェクト指向再考(メッセージ4、メソッドと関数3)

今月も月末に向かって地味に忙しくなって更新が遅れてしまいました・・・。

 前回と前々回に分けてダブルディスパッチについて説明しました。前回の繰り返しになりますが、この考えをさらに進めると複数のオブジェクトに対してポリモーフィズムを効かせればどうなるか?という話になります。一般化ですね。もっとも残念ながら、3つ以上のオブジェクトに対してポリモーフィズムを効かせる具体例が思いつきません。まぁ、『3者面談をやった時の先生と生徒と保護者の性格別の対応策』というのも考えられなくはないですが、今まで3つ以上のオブジェクトに対してポリモーフィズムを働かせた実戦経験はありません。ただ、この一般化-マルチディスパッチとかマルチメソッド-というアイデアを頭の隅に置いておくといつか使える日が来るかもしれません。

n体のオブジェクトに対してポリモーフィズムを働かせる。

と考えた場合、『n=0の時はどうなるか?』という考えが湧いてくるでしょう。そうです。n=0の時はメソッドに関係するオブジェクトが無いと考えられます。従来の関数がそれにあたります。
C++は自然に関数が定義できるのですが、JavaやC#は悪名高いpublic staticメソッドを使って関数を定義します。

以上が前回の復習になりますが、さて『関数が必要となる場合』の具体例をあげましょう。こちらもC++のライブラリからになりますが、一般的に以下のようなアルゴリズムの実装はオブジェクトと関係ないということで関数(正確にはテンプレート関数)で実装されています。

・合計値を求める
・ソートを行う
・検索を行う。

JavaやC#のみ知っている方はこの事実に驚かれるかもしれません。が、アルゴリズム+データ構造=プログラムという古典を知っている方なら逆に納得してもらえるかもしれません。つまり、データ構造に対して独立した手続き-アルゴリズムを考えた場合、関数での実装が上手くいくということになります。
それでもまだピンとこない人がいるかもしれません。そういう方はジェネリックプログラミングについて調べてみるのも良いかもしれません。この連載でジェネリックプログラムを扱うのは話が発散するので今は避けますがJavaにしてもC#にしてもジェネリックプログラミングをサポートしていますが、オブジェクト指向プログラミングとは必ずしも相容れるものではありません。

ということで関数(手続き)は、アルゴリズムの実装と相性がいいという話をしました。他には、実はかのstaticおじさんと揶揄されているみながわさんが指摘した、通常の手続きにも関数が使えるという話をします。
さて、みなさんがあるアプリケーションの実装時に、あるURLで指定されたHTMLファイルを取得する必要があった場合、以下の2つのライブラリのうちどれが便利に使えるでしょうか?

関数 gethtml を使う。
URLクラス、URLConnectionクラス、InputStreamクラス、BufferedReaderクラスを使う。

もし、各種クラスを使う方が便利と思うなら、あなたを『オブジェクト指向おじさん』に認定しましょう。
gethtml関数の方が良いのは自明でしょう。もし疑問があるのならコメント欄に質問してください。

さて、次回は変数の共有との関係で関数とメソッドを比べてみます。

オブジェクト指向再考(メッセージ3、メソッドと関数2)

 連載も5回目になりましたが、まだモチベーションが維持できています。前回はダブルディスパッチの説明と共にメソッドと関数について本質的な違いはないという説明をしましたが、もう少し突っ込んで話をします。
もともと
object.method();
という表記は、methodがobjectのクラスに属しているという意味合いが強いかと思います。言葉を変えるとクラスとはデータと、そのデータを扱うコードが合わさったものという発想です。これはこれで一つの考え方で構いませんが、問題は全てをメソッドにするのも間違いだということです。その一例がダブルディスパッチということになります。以下のように加算演算子+を考えた場合、

object1 + object2

+演算子は
 1.object1に所属するのか?
 2.object2に所属するのか?
 3.両方か?
 4.どちらでもないか?等々
1-4の内どう考えるのが自然なのか?という問題に突き当たります。Javaは演算子のオーバーロードを禁止することによりこの問題から背を向けました。つまりこの問題を避けているとも言えます。ちなみにこのような仕様を見たときにJavaは補助輪が付いた自転車のような印象を受けました。C++は『どちらにも属さない』書き方ができます。正確にいうと『object1に属する』の書き方も場合によってはできますが、例えば、

10 + object

のような場合は、『どちらにも属さない』書き方でしか書けません。つまり関数を使ってオーバーロード演算子の定義を行います。C#はある意味『どちらにも属さない書き方』で書きます。つまり、多くのオブジェクト厨が忌嫌うpublic staticメソッドでオーバーロード演算子の定義を行います。

ダブルディスパッチの話を終える前にマルチディスパッチ(マルチメソッド)の話を軽くします。前回、2つのオブジェクトに対してポリモーフィズムを働かせる仕組みをダブルディスパッチと説明しましたが3つ以上のオブジェクトに対してポリモーフィズムを働かせる考え方もちろんあり、マルチディスパッチまたはマルチメソッドと言います。マルチメソッドをいつ使うのか?と言われたらそれはそれで考え込んでしまうのですが、それでも、メソッドが何処かのクラスに属するという考え方に固執するとこのようなパラダイムを受け入れることは難しいでしょう

さて、このようなある種の一般化を行った後は、今度は全くクラスに属さない手続き=関数という存在も自然に受け入れることができるかと思います。つまり、

y = sin(x);

のような式において、文字通りの関数、sinはどのクラスにも属さないと考えた方がよいでしょう。「Mathクラスに入れたらいいだろう」と反論を受けそうですが、実際にsin関数はJava厨が忌嫌うpublic staticで定義されており、C++でも関数として定義されています。先の演算子の例でも出てきましたが、public staticメソッドとは手続型言語での関数定義に相当するものになります。ちなみにかのεπιστημηさんは私との議論で、

Java/C#はどのクラスにも属さないメソッドが作れないため、
当たり障りのないクラス(たとえばMathあるいはModuleC)をでっちあげてそいつに押し込まざるを得ない。
「いかなるクラスにも属さない」という”思い”を表現できません。
僕にはそこが(C++と比べて)不自由に感じます。

というふうに本質的に関数であるものを仮のクラス(Math)に入れることには難色を示されています、これについては私も同感です。

さて、『そんなに関数が重要ならsinとかではなくもっと幅広く使える例を出せ!』と言われそうです。その答えは来週に行うということで。

オブジェクト指向再考(メッセージ2、メソッドと関数1)

 なんやかんやでかろうじて連載も4回目になりまして、モチベーションも維持できてよかったです。語学留学もあと一カ月で、最近、仲良くなった大学生にC++を教えています。といっても最初はポインタを教えていたのですが次にリファレンスを教えることになって、思わず、「混乱の元だからリファレンスは最初は無理して覚えなくてよくてポインタを先に覚えましょう。」と言ってしまった。もっとも「リファレンスの方が簡単だから軽く覚えてガッツリポインタを勉強しよう。」とも言ったが、この連載のターゲットは『オブジェクト指向しか知らない世代』としていますが、JavaやC#しか知らない方たちはポインタの概念が理解できているか怪しい限りです。興味深いのは、私の半径3メートルの範囲、クパチーノ近辺ではC++をマスターすることがステータスになっているようです。

 という訳(?)で今回はメソッドと関数について話します。なぜか知らぬがネットの界隈ではどうも、

メソッド>>>どうしようもない壁>>>関数

という図式が成り立っているようです。でこのどうしようもない壁なんて無いというのが今回のテーマです。もっとも1回で説明するのは難しいので何回かに分けて説明します(しかも飛び飛びになるかも)。

先ず、最初に以下の2つの表現

object.function();

function(object);

ですが、C++でみると生成される機械語コードは同じになります。例外はfunctionが仮想関数(ややこしいので以下、オーバーライドメソッドと呼びます)の場合になります。オーバーライドメソッドを除いて、C++でみると上記の2つのコードは同じということになります。『カプセル化があるだろ』という突っ込みがあるかもしれませんが、それは他のキーワード(friend)を使うことによって同等にできます。
もし、あなたには『どうしようもない壁』が見えるというのならどうぞ具体例とともにコメントをください。

ということで、ADPでは上記の2つのコードは同じように解釈されます。というか上のコードは下のコードとして解釈されます。『同じなら一つの書き方で良いだろ!』とお叱りを受けそうですが、表記上の重要な違いがあります。つまりobject.function()の記述はメソッドチェーンを実現できます。

object.function1().function2().function3();

もしこれを関数の形式で書くと

function3(function2(function1(object)));

となりますが、どちらが良いかは一目瞭然だと思います。ただ、これはあくまでも表記上の話でもしこれがどうしようもない壁というのならオブジェクト指向というのは表記上の問題ということで話が付きますし、そもそもメソッドチェーンの見た目はもはやメッセージパラダイムとは異なるでしょう。

さてfunctionがオーバーライドメソッドの場合の話ですが、簡単にオーバーライドメソッドについて話ますと、呼び出されるメソッドが実行時に決定される点です。C言語の関数は呼び出される実体がコンパイル時に決まりますが、オーバーライドメソッドの場合は実行時にオブジェクトの型によって呼び出される実体が決まります。

object.add(1);

とあった場合、objectがInteger型ならIntegerクラスのaddが呼び出され、objectがFloat型ならFloatクラスのaddが呼び出されるということになります。これはポリモーフィズムと呼ばれるもので、オブジェクト指向病にかかっている人たちはまさにポリモーフィズムが手続き型言語との差別化を図っていると信じています。ポリモーフィズムについては連載の後の方で詳しく説明しますが、関数ポインタを使うとこによりCやアセンブリ言語でも同様の機能を実現できます。こう言うと『ならアセンブリ言語で全部書けや!』と意味不明な切り返しをされるのですが、それに答ますとLinuxの記述では主にCが使われているというのは有名な話ですが、でデバイスドライバの実装等ポリモーフィズムと同様のことが行われています。つまりCでもある程度はオブジェクト指向を実用レベルでシミュレートできるということです。ちなみにADPはC++で記述しておりポリモーフィズムもバリバリ使っていますがパフォーマンス上の理由からCでリライトしようかと思案中です。

さて、話が横道にそれましたので元に戻しますとaddの例ですが、何か変なことに気付かないでしょうか?例えば以下の例はどうでしょうか?

object1.add(object2); // ・・・・・(A)

このaddメソッドですが、object1に対してはポリモーフィズムが効きますがobject2に対してはどうでしょうか?JavaやC++ではobject2にはポリモーフィズムは働きません。まぁ関数の例でもそうでしたが引数にはポリモーフィズムは働かないと考えてもしようがない面もありますが、もし引数にポリモーフィズムが働かないのが当然だというのなら(A)は以下の例と動作が異なることになります。

object2.add(object1); // ・・・・・(B)

加算(add)というのは通常交換法則が成り立ちますのでもし(A)と(B)の動作が異なるということならその実装は不完全としか言いようがないですね。ので通常addがポリモーフィズムであるならそれはobject1,object2双方に対してポリモーフィズムでなければならないことになります。2つのオブジェクトに対してポリモーフィズムを働かせることをダブルディスパッチと呼びます。私はダブルディスパッチについて16年程前に『More Effective C++』で知ったのですが、以前、といっても2,3年程前にJavaが得意で自称オブジェクト指向をマスターしている彼が『オブジェクト指向をマスターしている人は日本にはほとんどいない。俺を除いて』と言っていたので『ダブルディスパッチって知っている?』と聞いたら『なにそれ?』と返されたことがある。ということで知ったかのJava厨の検出にはダブルディスパッチは今のところ効果的かと思われる。ちなみにC#4.0以降の場合、dynamicキーワードを使うことにより(A)の記述でもobject2に対してもポリモーフィズムを働かせることができるのでC#プログラマにダブルディスパッチの技を繰り出すのは返り討ちにあう可能性があるので注意したい。話を戻してC++やJavaの場合はかの有名なデザインパターンの一つビジターパターンがダブルディスパッチの実装方法の一つとなる。
ダブルディスパッチの使いどころですが、二項演算子でポリモーフィズムを使いたいとき(もっともパフォーマンス上の問題があり二項演算子でポリモーフィズムは使わない場合が多い)や2つの物体の衝突を計算する場合(More Effective C++)があるでしょう。ADPではユニフィケーションの実装にビジターパターンによるダブルディスパッチを使用しています(これがしたいが為にC++を使ったがもっと効率的な記述をしたいからCで組みなおそうかと考えている)。

つまりこういうことになる。

object.method()

function(object)

において表現上の違いやプログラミング言語のサポート状況による違いはあるが本質的には両者を同等物とみて構わないということである。つまりどうしようもない壁はないということになる。

長くなったので続きは来週に持ち越します。

オブジェクト指向再考(補足1)

前回の記事ですが、読者の方から洗脳を解くには弱いという指摘を受けたのでちょっと補足を考えてみました。実際にオブジェクト指向に洗脳されている方には何をいっても聞かないのですが、そもそも論として、なんでこんな記事を書くのか?ということを説明しましょう。
一般的な話になりますが、エンジニアの中には原理主義者よろしく自身の考えを曲げない人が確かにいます。その人の世界で頑張ってもらえればよいのですが原理主義者の中には妥協という言葉をしらないのか、他人のコードや考え方に口出しをする方もいらっしゃいます。たとえば『手続型はダメ。オブジェクト指向はよい』とかですね。彼・彼女が完成されたエンジニアなら口出しも立派なアドバイスとして成立するでしょうが、ある意味究極のセオリーだと私が考えるのは『コードに正解はない』ということです。あるとすれば『こちらの方がより適切かもしれない』ということと『動くコードはやっぱり最強』ということです。あるエンジニアに、その昔私が書いたコードをありがたく手術と称してリファクタリングしてもらいましたがテストをすると重要なエラーチェックが抜けていることに気づきました。質問すると「まだ書いていない」という返事をもらいました。つまりこういうことです。エラーチェックのコードは時として見栄えが悪くなります。まぁ通常処理に加えて異常系の処理を加える関係上仕方がないでしょう。そういうコードから異常系の処理を取り払えば確かに見栄えはよくなります。さて、見栄えは良いが重要な処理が抜けているコードと見栄えは悪いがきちんと処理が入っているコード、あなたはどちらを評価するでしょうか?見栄えを取るという人は将来失業しないように気を付けましょう。
オブジェクト指向に心酔するのは構わないのですが、結論から言いますと残念ながらオブジェクト指向技術は思ったほど役には立ちません。詳しくは連載を通して理解してもらえればよいのですが、非常に残念なことにオブジェクト指向に過剰に心酔する人がいるのも事実です。例えば、この記事です。
staticおじさん達に伝えたい、手続き指向とオブジェクト指向の再利用の考え方の違いについて
経験のあるエンジニアならこの記事が眉唾だと理解できるのですが経験の浅いエンジニアなら真に受けてしまうでしょう。少し技術的な点を突っ込んでおきます。記事中

アセンブリやCOBOLのような言語では、オブジェクト指向言語で一般的なカプセル化という考え方がきわめて弱いということがあります。変数は静的なグローバル変数が中心であり、

とありますが、アセンブリ言語でもローカル変数はあります。またいわゆるメンバ変数もシミュレートできます。もし仮にアセンブリでローカル変数がなかったりメンバ変数をシミュレートできないとすればJavaやC++のコードはどうやって実行されると考えているのでしょうか?OSはどんなふうに記述されていると考えているのでしょうか?JavaやC++はコンパイラを通して一旦機械語に変換されます。アセンブリとはその機械語に一対一に対応します。また、そもそも論としてアセンブリとCOBOLを同じテーブルに並べるところにもの凄い違和感を感じます。もしあなたが違和感を感じられないのならオブジェクト指向を勉強する前に他に勉強することがあるということになります。
さてこの方の約3年後の他の記事を見てみましょう。
開発チームにアーキテクトがいないなと感じてしまうような、残念なコードスメルの例
引用しますと、

最後に、最近になって気づいた自分の間違えについて書いておかなくてはなりませんね。以前であればこうした設計上の問題は日本のSI業界の構造が問題なのであるという話をしていたかもしれません(^_^;)が、ここで書いたような話は多少フィクションが入っているとはいえ、実際私がSI業界以外の今の会社で体験したことに基づいていると告白しなくてはなりません。言語の特性から、Javaで開発していると、こういった設計上の問題が起きやすいということがある可能性もありますが、こういった話はSIer以外でも、どこの国の開発チームでもあるのだなということですね。

この中にあるJavaで開発していると、こういった設計上の問題が起きやすいということがある可能性もあります
この感覚は実はオブジェクト指向症候群から脱する第一歩になります。多くの生き残っているエンジニアは大なり小なりこういう感覚を端緒とし、次に”Javaはダメだ○○は良い”となり、最後には”オブジェクト指向がダメなんだ”となります。もちろんですが私も20年程前にこういう感覚に襲われたことがあります。

まとめますと、オブジェクト指向症候群にかかると間違った知識をまき散らします。さらに病気から抜け出すと後でそれを修正しなければならないという二度手間が発生するわけです。できれば早く抜け出した方が本人の為でもありますし業界のためでもあります。

と長くなったのと月末でいろいろ忙しいので、今週はこれにて終了です。次回は、メソッドと関数についてもう少し突っ込んで話したいと思います。

オブジェクト指向再考(メッセージ1)

先週に続きましてオブジェクト指向再考ということで特にオブジェクト指向に毒された方を対象に現実的な観点でプログラムできるように、プログラマとして社会復帰できるように、ヒントを出したいと思います(もちろん回復するかどうかは本人次第です)。
今週からはメッセージについて話たいと思います。世の中には、

メソッド(メッセージ)>>どうしようもない壁>>関数

と思っている方がいらっしゃるようですが、今後数回に分けて、この『どうしようもない壁』というのはオブジェクト指向病特有の幻覚であるということを示したいと思います。まぁ、厄介なことに患者さんには明確に壁が見えているのでなんとも言えないのですが、もし少しでも『これは幻覚かも?』と思った方はこの連載が助けになるかもしれません。ちなみに『この壁を感じれないやつはプログラマとして終わっている』とお思いの方はお帰り頂いて構いませんし、反論のコメントを書き込んで頂いても構いません。

前回の最後に示しましたが、オブジェクト指向のキーファクターとしてメッセージがあります。この考え方(パラダイム)はそれはそれで素晴らしいものです。分かり切った例をあげますと、マウスの入力(クリック)がメッセージとしてOSに伝わり、イベントハンドラ(コールバック関数)に制御が引き渡されます。当たり前のようですがこの仕組みはメッセージパラダイムを具現化したものになります。もしメッセージを使わなかったら、例えば定期的にマウスの位置を読み込み、クリックされたどうかを確認することになります。考えただけでも厄介ですよね。GUIプログラムがイベント駆動型と言われる所以ですね。

さて、ここでのキーポイントは、『世の中の事象は全てイベント駆動(メッセージ)で記述するのが良いことか?』ということになります。例えば、以下のプログラムを考えましょう。

ユーザがスタートボタンをクリックしたら画面に”Hello”と表示する。

間違いなく、『ユーザがスタートボタンをクリックしたら』、というところはイベント駆動と相性がいいですね。では次の

『画面に”Hello”と表示する。』・・・・・(A)

というのはどうでしょうか?この部分はイベント駆動またはメッセージで記述できるでしょうか?

よくオブジェクト指向の教科書に出てくるのですが、

『画面オブジェクトに、引数に”Hello”を指定して表示依頼のメッセージを送る。』・・・・・(B)

というのを見受けます。最初に指摘しますと(B)は(A)を劣化させたものだと言えます。
ポイントは(A)は手続き指向で書かれて、(B)はオブジェクト指向(メッセージ指向)で書かれています。そして重要な点ですが、この場合、(A)はプログラムの仕様(本当にやりたいこと)を表していて(B)はプログラムそのそのものの説明を行っている点ということになります。つまり、(B)は以下のようなコードの説明を行っているということになります。

label.setText(“Hello”);

ここで画面オブジェクトというのがlabelになり、setTextが表示依頼メッセージで”Hello”が表示対象の引数ということになります。
つまり(B)は上記のコードの説明を行っていることになり、(A)は上記のコードの意図を表しています。
もし上記のコードにコメントを付与する場合、(A)、(B)どちらが良いでしょうか?

label.setText(“Hello”); // 画面に”Hello”と表示する。・・・・・(A)

label.setText(“Hello”); // 画面オブジェクトに、引数に”Hello”を指定して表示依頼のメッセージを送る。・・・・・(B)

(B)の方がよいという考え方の人に質問したいのですが、ラベルオブジェクトに値をセットする方法にはプロパティを使うというものもあります。つまり以下のコードもありえます。

label.Text = “Hello”;

この場合、(A)、(B)どちらのコメントの方が適切でしょうか?

label.Text = “Hello”; // 画面に”Hello”と表示する。・・・・・(A)

label.Text = “Hello”; // 画面オブジェクトに、引数に”Hello”を指定して表示依頼のメッセージを送る。・・・・・(B)

それとも以下のようにコメントするのでしょうか?

label.Text = “Hello”; // ラベルプロパティに”Hello”をセットする。・・・・・(C)

もっとも、(C)のような発想もオブジェクト指向から離れたと言えるでしょう。
さて、ある程度経験のあるエンジニアなら大なり小なりこのようなジレンマを抱えたことがあるかと思います。つまりメソッドの中身を書こうとしたときに『どうもオブジェクト指向していないな・・・』と感じることがあったかもしれません。しかしよく考えてみれば分かりますが、メッセージ指向というのはある種の手続きの上っ面(呼び出し方法)についてパラダイムであり中身をどうするかは別問題ということに気付くかと思います。
ここで重要なことは、

メッセージというのはプログラミングパラダイムの一つであり、メッセージで表現した方がよいもの(例えばイベント)もあれば、そうでないもの(手続き指向のもの)があるということで、プログラマは適宜適切なパラダイムを選択してプログラムを行えばよいです。多くのプログラマは、プログラミングパラダイムについて

オブジェクト指向(メッセージ指向)> 手続き指向

と考えているかもしれませんが、実はそれぞれ適材適所があり適宜使用すればよいということになります。つまりマルチパラダイムですね。さてオブジェクト指向言語しか知らない方は実は手続き指向という発想がないかもしれません。何かをステップバイステップで処理をするという発想が手続き指向になります。特段難しいとは思えないですが、もしピンとこない方がいらっしゃいましたらコメントを下さい。
イベント処理を手続き指向で考えるのは不適切ですし、能動的に画面に何か表示したいと思った時にいちいちメッセージ云々を考えるのも不適切ということになります。そう考えると以下の2つの記述方法のどちらかが適切か理解できるかと思います。

z = 3 * x * y + 4 * x + 6 * y + 2;

z = 3.multiply(x).multiply(y).add(4.multiply(x)).add(6.multiply(x)).add(2);

もう迷う必要はなく上の方が適切だと理解できるかと思います。数式も一つのパラダイム(というか表現方法の一種)だと理解すれば無用なパラドックスに悩まされる必要もなくなります。

次回は、メソッドと関数についてもう少し突っ込んで話したいと思います。

オブジェクト指向再考(イントロダクション)

 前回出した記事(オブジェクト指向おじさん?)のあいださんのコメントで最も興味深いものが、オブジェクト指向しかしらないプログラマが増えてきている、というものである。実は私はそれまで『なんでこうオブジェクト指向信者が途絶えないのか?』と疑問に思っていたのだが冷静に考えれば解るとおり『良いも悪いもなくソレしか知らない。』(あいださんのコメント)世代が増えて来ているようだ。幸いにして私の周り半径3メールではそんな奴はいないので私の視野が狭くなっていたらしい。そういう意味では前回の記事をアップして良かったと思う。
また、元々、オブジェクト指向に関する記事を書こうかと思って対象読者を従来の手続き型言語に精通している人としようかと思っていたのだが方針を若干変更してメインターゲットを『オブジェクト指向しか知らない世代』にして、今後増えるであろう、オブジェクト指向症候群に掛かった患者への処方箋を今後数回に分けて書くことにする。
 オブジェクト指向という言葉を聞くとみなさんはどんなイメージをもたれるでしょうか?『オブジェクト指向とは何か?』を素人に説明するとプログラミングパラダイムの事でつまりプログラムを開発する上での一つの考え方や一つの模範ということになる。実はこれ以上でもこれ以下でもないのですが、もしあなたが以下のどれか2つに当てはまるのならオブジェクト指向症候群に掛かっているかもしれないので、この連載は役に立つだろう。

 1.関数という言葉に嫌悪感を感じる。または時代遅れの遺物だと感じる。
 2.よく他のプログラマ・言語に対して『オブジェクト指向ではない』と言っている。
 3.staticを使っている人をみるとプログラマとして終わっていると感じる。
 4.過去にオブジェクト指向を批判した記事を読んだが書いている奴がオブジェクト指向を分かっていないだけだった。
 5.C++が最高、他の言語はダメと思う人。
 6.Javaが最高、他の言語はダメと思う人。
 7.C#が最高、他の言語はダメと思う人。
 8.と言いつつも、自分自身がオブジェクト指向というのが何か実は良く解っていない。

さて、こういうと『お前が解っていないだけだ』と批判を受けそうなので少し私自身について説明します。私は14歳の時からプログラミングを初めて今年で32年目になります。仕事で使った言語は、覚えた順からBasic,Assembly,C,C++,VB,SQL,Java,Perl,PHP,MDX,Ruby,VB.NETです。ちなみにAssemblyは複数のCPUのインストラクションセットを覚えたし、実際に20年前まで仕事で使っていました。メジャーな言語ではC#が抜けているがやったことがないだけです。オブジェクト指向についていうとこれまた20年以上の経験になり、いわゆる手続き型言語からオブジェクト指向言語へコンバートした人になります。批判される前に私のオブジェクト指向の経歴をいうと、十数年前にJavaの記事を書いたこともあるし、ADPというプログラミング言語のプロジェクトを持っているがこれはC++で書かれています。またADPもオブジェクト指向をサポートしてます。その関係で一般のプログラマよりもオブジェクト指向についてよく考えていると自負している。

さて、まず最初の処方箋を言うと、オブジェクト指向は過大評価されている点を挙げましょう。実際は全くそんなことはないのにも関わらず、『オブジェクト指向はプログラマが進む最終地点』と考えている人が多いでしょう。歴史的にみてオブジェクト指向が持てはやされたことがありそれに無意識に乗っかっている人々がいたということもあるが、実はオブジェクト指向自体になにかプログラマを引き付ける魅力があります。ある人はそれを『究極の一手』と表現し、またある人は『彼女(彼氏?)』と言ったり、私自身も『オブジェクト指向はプログラマが進む最終地点』と考えていた時があった。さてここまでで『私がオブジェクト指向を理解していない』と思ったあなたは充分オブジェクト指向病に冒されていますので、何かコメントをしよう考えたのなら少し我慢して以下を読んで頂いて反論を頂きたい。

誰でも知っていることだがオブジェクト指向というのはもともと分類学の技法をプログラミングに取り入れて複雑なプログラムに対応しようというパラダイムの一種で、クラスとか継承とか多態性という言葉は分類学から借りてきたものであるといえる。ここで冷静になって考えてみれば分かることですがそもそも世の中の全ての事柄を分類学でカバーできるでしょうか?世の中の学問を見渡せば分かるとおり分類学では全てはカバーできないことは理解できるでしょう。つまり継承とか多態性というのは一部の領域にのみカバーをすることが保障されているということであり、ここで代表例を挙げると、GUIシステムにはオブジェクト指向がうまく適合できたようで、他の例を挙げると私の経験上になるがプログラミング言語の処理系もうまくマッチすると思う(残念ながら全く問題がない訳ではないが)。その他、経験上言えることは、一連の法則性を持った多様なものを処理するにはオブジェクト指向が向いていると考えられる。ほかの例を挙げると、実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです!の記事にある、とりすけ さんのコメントで税金計算処理の適用事例があります。
以上、確かに適用できる事例はありますが、逆にいうと応用例はかなり限定されています。よく自称オブジェクト指向専門家に具体的な話を聞くと『息を吸うようにインタフェースを使っている』という分かったような分からないような返しをされますが、具体的な話ができないということはそもそも彼(彼女)も分かっていないということになるでしょう。本当に息を吸うようにインタフェースを使っているのなら具体例が多数出てくるでしょう。

また、オブジェクト指向の本質はメッセージだ!という人もいらっしゃいます。なるほどメッセージをやり取りすることにより複雑なシステムを簡単に構築しようということらしいです。では以下の2つのコードはどちらが理解しやすいでしょうか?

z = 3 * x * y + 4 * x + 6 * y + 2;

z = 3.multiply(x).multiply(y).add(4.multiply(x)).add(6.multiply(x)).add(2);

『下のコードの方が良い』という人はぜひリハビリを行ってください。少なくとも人前では上の方がよいと言いましょう。ちなみに当たり前ですが、これを持ってオブジェクト指向がダメだと言いたい訳ではなく、言いたいことは、『メッセージというある種のプログラムを抽象化する道具も乱用すると却って悪戯にプログラムを複雑にする』ということです。
次の回(おそらく来週?)このメッセージについて考察したいと思います。

オブジェクト指向おじさん?

私の盟友(?)ことみながわさんの日記が更新されたので覗いてみた。2016年1月29日の記事によると、とあるWEBの記事「staticおじさん」はなぜ自信満々なのかというのが目につく。
この手の記事に対しての警鐘は以前にも行ったのだが、未だにこういう煽り記事が出てくるということは出版業界はよっぽど不景気なのか?と邪推したくなる。
アメリカに留学して習った単語にobjectiveというのがあり日本語訳は客観的で、反対語はsubjective(主観的)になります。論文を書くときは客観的であれといわれます。といっても何が主観で何が客観か分からないでしょう。本当かウソか分かりませんがアメリカではこのobjectiveということを子供の頃から教わるらしいです。もっとも子供の頃にそんなことを習ったことのない日本人は文章を読むときに、何が主観的か客観的かが判断がつかないこともあるでしょう。ちなみに何の説明もなしに『普通はこうだ』とか、他にも記事を読んで『俺の意見を代弁していてくれる』と思ったら、その記事は主観的である可能性があります(主観的の定義に従えば自明ですよね)。

さて、元の記事にあるこの部分

 Javaでメソッドを呼び出すときにはクラスからインスタンスを生成してインスタンスのメソッドを呼び出すのが普通です。一方、staticメソッドはインスタンスを生成しなくてもクラスから直接呼び出せます。このため、オブジェクト指向プログラミングを理解していない古いタイプのプログラマは、Javaでもstaticメソッドを多用します。これを揶揄して「staticおじさん」と呼ぶのです。

これは、

インスタンスメソッドを使う→普通
staticメソッドを多用する→プログラマがオブジェクト指向を理解していない可能性あり

と読み取れます。思わず普通ってなんやねん?と突っ込みたくなるのですが、
そろそろこのインスタンスメソッドを使うのが普通という誤謬を解きたいのですが、staticメソッドは場合によっては推奨されています。
期待するコードを期待するように書こうという本から引用させていただくと

クラスのメンバへのアクセスを制限するもう一つの方法は、メソッドを出来るだけstatic にすることだ

このReadable codeという本は私は英語版を購入したのですがそこでも同様のことが書かれています。

また、英語が読める人は、static methodで検索をかければいろいろ議論を見ることができます。たとえば以下のQAたち
https://www.quora.com/Why-is-using-statics-Static-method-block-variable-in-Java-programming-bad-programming
http://programmers.stackexchange.com/questions/98083/cant-i-just-use-all-static-methods

ここでは、インスタンスメソッドを使うのが普通とか訳のわからん理由ではなくきちんと事実に則って議論がされています。
事実(fact)に則って議論するということは客観的(objective)な議論ができているということになるでしょう。

ざっくりとまとめますと、staticメソッドを使うと

欠点:継承ができなくなる。ポリモーフィズムも使えなくなる。
利点:メンバー変数へのアクセスを制限できる。パフォーマンスが上がる。

ということです。他のものは自明として、利点のところで『パフォーマンスが上がる』かは検証の必要があるのですが、ポリモーフィズムはオーバヘッドを発生させるのでそれを使わなければパフォーマンスがあがる可能性はあります。
また欠点の中で、『ややこしくなる』という意見もあったのですが、これは主観的な意見でしょう。たとえばstaticメソッドを使いなれた人はむしろすっきりとすると考るかもしれません。

さて、継承もポリモーフィズムも使わないということであれば、staticメソッドを使ってもよいということになるのですが、この反論として、『オブジェクト指向でなくなる』というのがあります。もはや手段と目的が混同されているとしか言いようがない意見でいやはや疲れます。
まぁ一介の無名なエンジニアが何をいっても仕方がないのでもっと説得力のある例を出しましょう。
επιστημη さんという著名なライターさんがいらっしゃいますが、彼は思い切りstatic メソッドを使っておられます。
http://blogs.wankuma.com/episteme/archive/2012/12/28/310396.aspx
のコードのrefereeクラスがそれに当たります。refereeクラスには3つのメソッドがありますが、すべてstaticメソッドになっています。
つまり、事実としてstaticメソッドは使うときは使うのです。ちなみにもちろんですが、επιστημη さんがオブジェクト指向を理解していないということはないでしょう。

という訳で、

 ただ、現実に年齢を重ねると、どうしても守りに入りがちなのは事実です。「自分はstaticおじさんなのではないか」という問いは、常に忘れてはならないのでしょう。

というヒマがあったら自身が思わぬ誤謬をしていないか記事の検証を行うことを勧めます。

2/4追記
コメント欄で文意を汲み取っていないという指摘を受けましたが、まぁ充分文意を汲み取って反論をしているのですがどうも分かりづらいかもしれないので、補足します。

 ただ、現実に年齢を重ねると、どうしても守りに入りがちなのは事実です。「自分はstaticおじさんなのではないか」という問いは、常に忘れてはならないのでしょう。

こういう教示的な文章は一見ごもっとなことのように受け取れますが、冷静に読めば分かりますとおり、ど素人でも同様のアドバイスができるでしょう(例を出すとサッカーや野球観戦をしているおっさんが野次っているさまと同じと言えば納得できるでしょうか?)。
社会人としては自分を律したり反省することは歳をとろうが若かろうが、技術者であろうがなかろうが、常に必要でいちいちアマチュアに指摘されることではないです。

そうはいっても100歩譲って、プログラミングに携わるプロが
『(引用先の記事に書かれてるニュアンスでの)自分はstaticおじさんではないか?』
と自問するということはどういうことでしょうか?
つまり、『staticは使えるのか?使えないのか?』という正に私がここで行っている議論をすることです。
そしてまさに

インスタンスメソッドを使う→普通
staticメソッドを多用する→プログラマがオブジェクト指向を理解していない可能性あり

こういう意見が20年前はともかく今となっては偏見に基づく誤謬でしかないということを認識することが重要だと言いたいわけです。プロなら気づきましょうということと、素人なら知ったかぶりをするのはやめましょう、という話です。

2025/11/20 追記
すっかり放置していたブログですが、改めてアクセス解析をしたら、ほぼ10年前のこの記事で今でもそこそこのアクセスがあります。コメント欄についてはあまりにもレベルの低い書き込みがあったので承認制にしてコメント自体は落ち着いたのですが、皆様の参考になっているようで何よりです。
約10年ぶりに改めて幾つかの記事をアップしました。

 

変な人

ここ1年ほど続いた炎上プロジェクトですが、奇跡的(?)にやっと落ち着き定常運転ができるようになったのですが、やることはまだまだたくさんあるので全くもってヒマがないので、更新もすっかりご無沙汰になったのですが、そのおかげで変な人の付きまとい行為も減り結果オーケーではある。

変な人というと総務省が、「独創的な人向け特別枠(仮称)(通称:変な人)」というのを募集するようです。

『「Disruptive Change」:世界的に予測のつかないICT分野において、破壊的な地球規模の価値創造を生み出すために、大いなる可能性がある奇想天外でアンビシャスなICT技術課題に挑戦する人を支援。閉塞感を打破し、異色多様性を拓く。』
とか
『*ゴールへの道筋が明確になる価値ある「失敗」を奨励』
ということで、来年あたりならヒマができるのでADPを引っ提げて応募しようかと考え、調べていたら色々思うことがあるので、コメントします。

そもそもなぜこのような政策を実行するのか?つまりこの政策の背景ですが、『イノベーション創出委員会』ということろがとりまとめを行っています。とりまとめの案が以下から読めます。
イノベーション創出委員会最終とりまとめ(案)に対する意見の募集

あとインタビュー記事が以下にあります。
「俺の言うことがわからん奴はバカ」という人が欲しい–総務省のイノベーション創出事業“変な人”

これらをみて思ったのは、やはり日本は衰退に向かっているんだということで、さらに残念なことに国家や大企業ではそれを克服できないんだなということです。私の経験から一言で言えば潰れかけの会社が色々足掻いているという印象がぬぐえないです。
もちろん、座して死を待つよりは遥かにましですし何事もチャレンジすることはいいのですが、例えば、上記の記事をみますと変な人の育成方法は、『いまのところ決まっていない。』とか、いやいや人任せにせずにそれぐらいは自分で決めましょう突っ込みが出てきて思わず心配してしまいます。

また、
『「なぜ“変な人”という表現ではダメなんだ。“独創的な人”より伝わりやすいじゃないか。これだからイノベーションが起きないんだよ」―こう指摘したのは元総務副大臣の○○○○という。』
については、言葉尻をとらえた本質的でない所で熱く議論をしているんだ税金を使って・・・と思わざるを得ない。まぁ成長が鈍化した会社の会議なんかで見る光景ではあるのですが・・・。
イノベーションとは常識を理解した人があえてそれを破ることから起こると考えているのだが、つまり温故知新ですね。スティーブ・ジョブズの例で言えば、Macintoshの開発逸話を読めば、彼が変な人だとは思わないはずで、卓越したプロデューサーというのが私の印象になります。まぁ私にはできないですね。

記事では変な人を探す理由として、イノベーションのジレンマをあげています。
イノベーションのジレンマとはWikipediaによると『巨大企業が新興企業の前に力を失う理由を説明した企業経営の理論』ということです。つまりイノベーションのジレンマとは今の日本の状況を説明するものではなく単に大企業が衰退する理論的な説明にしかすぎないです。まぁ日本の新陳代謝を促す為、世界で戦えない大企業に関しては潰れて頂いてもよいかと思うのでイノベーションのジレンマは歓迎ということになります。
ちなみに記事からはあたかも今の日本ではイノベーションが起こっていないという印象を受けますが、日本でイノベーションは私の半径3メートルでもみることができる。
ほんの5年前までは、ガラケーを使いながら『スマホってなに?』といっていた人たちが今ではスマホでガンガンゲームをやっている。スマホ歴自体は私の方が長い(7年以上)のだが、その適応力をみると個々人でみた場合、日本人のテクノロジーを扱うポテンシャルは全く衰えていないと実感する。スマホは確かに海外発のテクノロジーかもしれませんがその中に入っているアプリは日本で作成されいます。
『たかがスマホのゲーム』と思うかもしれないが、5年前と今で電車内の人のようすを比べますとまさにイノベーションが起こったといってもよいでしょう。

というわけで、政府や大企業が危機感を持っているのは解ったのですが、まぁ既得権益を享受している組織は、今の状況は芳しくないと考えているようですが、破壊的イノベーションはそういう既得権益者が破壊されるとこではないのか?という疑問が出てくるのですがどうだろうか?

ちなみに私の半径3メートル以内の話になりますが、個人に入るかどうかは別として優秀な人はそれなりにお金をもらって仕事をしており、300万では対したことができないのだが、相場というものを理解していないのでしょうか?もっとも例えばこの事業が自宅警備員のような方に対する支援なら全くもって理解できなくもないですが、それでも『金は出せないがお前ら頑張れ』という昔居た会社の上司が言っていたセリフが思い出されます。その返答としては、だったら君たちがその金でイノベーションを起こしなさい、ということで今年の応募は見送りますが、もっとも何事もチャレンジすることはよいことですので、ちょいちょい様子をみてみましょう。

『社会人であり、技術者であり』の質疑応答

さて、『社会人であり、技術者であり』をリリース(?)してから思わぬところで炎上しまして、『質問に答えろ!』という声が出てきたのでFAQではないですが、質問&回答をまとめます
なお、このページについては適宜、編集します。

2012/11/23 まとめおよび質問回答を幾つか追加
2012/11/23 『みながわ氏=三浦氏という主張の根拠は?』に幾つか追加
2012/11/18 コメント欄での指摘を受け『社会人であり、技術者であり』を修正

2012/11/16 『みながわ氏=三浦氏という主張の根拠は?』を追加
2012/11/14 『「ある人物をモデルにした小説を書くのであれば、その人物がやってもいないことを盛り込んではいけない。盛り込んだ場合は、誹謗中傷となる」場合がある』を追加

現状(2012/11/23)のまとめ

現状、この小説の最終話とみながわさんとの関係についての解釈で以下の4パターンが出てきているかと思います。

1.無関係。三浦さんは不特定のお客サイドのマネージャということ

 →こちらについては例の炎上事件を知っているかどうかによって異なる面もあるようですが、最終話の後半部分については後から見ても多くの類似点があり、無関係というのは厳しいでしょう。これについて『三浦さんはみながわさんのモデルだがイコールではない』という、どう返信して良いか分からないコメントもありましたが、『モデル』と言っている時点で既に無関係ということではないでしょう。

2.みながわさんに批判的なだけ

 →こちらについては、小説後半部分の記述
『たまに別のWebサイトのコメント欄に、オブジェクト指向批判を書くこともあった。当然、技術的な裏付けも何もない、思い込みによる批判だから、正論で完膚なきまでに叩きのめされてしまう。正面から議論を展開できるだけの知識がないから、スリービーチさんにできることは、「その日本語はおかしい」とか「若い人はすぐに感情的になるから議論にならない」などと、負け惜しみを書くことだけだった。』

をみてみますと、
『思い込みによる批判』とか『負け惜しみを書く』、『人の話を聞かない』とかはその人の人格を表しているでしょうから批判を逸脱しているでしょう。また、

『そのささやかな幸せがいつまでも続くといいね。』
ですが、皮肉と取るにしても、趣味が悪いかと思います(と私も思います)。

その他、いちいち挙げませんが、貶めていると取られても仕方がない表現がありますでしょう。

3.最終話の後半部分はみながわさんを貶めていると取られても仕方がないので蛇足

 →こちらについてはほぼ同意なのですが、私の意見は少し異なります。

4.最終話の後半部分が本当に言いたかったことで、その前は最後を言うための布石

 →以下は、あくまでも、私(および数名)の方のこの小説の解釈になるのですが、注意して書けば、『1』や『2』に受け取れるような小説にもなったはずです。それなのに、なぜ、『3』と解釈できるような作品となったのでしょうか?
私はこの後半部分が、この小説が一番言いたいことではないのか?と解釈しています。

この小説を要約すると、
『人の話を聞けないオブジェクト指向を否定している人が、オブジェクト指向が分からないのでプロジェクトに失敗し、オブジェクト指向を否定するブログを始めたが、人の話を聞かない為に炎上して誰からも相手にされなくなる。やっぱり人の話(オブジェクト指向は良い)はちゃんときこうね。』
という風に解釈できます。この小説はみながわさんに『あなたはこういう人なんですよ』ということが言いたかったのか、というふうに私は受け取りました。

そう考えると
『そのささやかな幸せがいつまでも続くといいね。』
の文章が持っている、ある種の陰湿なニュアンスが伝わってくるかもしれません。

事実を元に、素直にそのまま表現し、きちっとした批判を行えば、まっとうな小説になったかと思います。が『プロジェクトに失敗した』とか『オブジェクト指向を知らない』等、虚実入り乱れた表現や、『2』で示しましたとおり人格否定と受け取れる書き込みがあれば、そのまま捨て置くのは厳しいかと思います。

理由はともあれ、こういう小説はダメでしょうというのが私の主張です。

もう止めませんか?

 現状 (2012/11/22現在)、議論は進んでいます。ので、まだ止めません。私の意見とほぼ同じ意見の方も出てきていますし、私には同意しないが、最終章については蛇足だという人の書き込みも見られるようになりました。
ということで、まだまだ止めれません。

お前の対応に問題があるんだよ

 当初、私にとっては問題点が明らかだったのですが、どうも私の言い方等がまずいようで炎上しました。ちなみに、実際に何処が悪いか聞いてみたのですが、具体的な回答は頂いていません。
作者に質問を丸投げした件については『ごちゃごちゃ言うより作者に聞いた方が早いだろう』という判断で聞いてみました。今後も作者への質問は当然、行います。
もっとも、私の表現等至らない面があり対応できることでしたら対応します。
ただし、聞いてもいない人がいきなり割り込んで来て『こうしろ!』とかいうコメントには当然お答えできません。ので、個別に返信しない限り、そのようなご意見はすべて『ご意見はありがたく頂戴しますが、対応は出来ません。』という事に致します。

ブログの内容が変わっていますよね?

 当初、私にとっては問題点が明らかだったのですが、どうも私の言い方等がまずいようで炎上しました。 
 ブログの書き方については、具体的にアドバイスをされた方がいらっしゃったのでその方のご意見を取り入れてブログの文章は修正しました。
といっても私が言いたい事は変わっていないかと思います。

何時までやるのですか?

 みながわさんが止めてくれと言うか、リーベルGさんから何らかの対応があるまでか、私が力つきるかです。

あなたは関係ないのでは?

こちらのコメント欄でリーベルGさんは以下のようにおしゃっています

『私自身は基本的にコメントの内容に制限をかけるつもりはありません。誰かが間違っていると思い、そのメッセージを伝えるのに、このコメント欄が最適だと思えば、何を書いていただいてもかまいません。』

ので、このコメントをすること自体は問題ないでしょう。それこそ、問題があれば、リーベルGさんまたは@ITさんが対応するでしょう。

みながわ氏=三浦氏という主張の根拠は?

まず、
http://ja.wikipedia.org/wiki/名誉毀損罪
から
『被害者の氏名を明確に挙示しなかったとしても、その他の事情を総合して何人であるかを察知しうるものである限り、名誉毀損罪として処断するのを妨げない(最判昭和28年12月15日刑集7巻12号2436頁)。』
とあります。『処断するのを妨げない』という言い回しが分からない方がいるかと思いますので、ニュアンスを言い換えますと『処断する場合がある』ということになります。

つまり多くの人が高慢と偏見のモデルはみながわさんと判別できている時点で、
 高慢と偏見の三浦マネージャ = みながわさん
としてよいでしょう。

高慢と偏見のモデルはみながわさんと判別できる理由ですが、『高慢と偏見』の最終話は、『実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです! 』の本文およびコメント欄のパロディとなっています。
以下、『高慢と偏見』の最終話と『実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです! 』との類似点を示します。

高慢と偏見最終話の三浦氏のブログのタイトル みながわさんのブログのタイトル
SEのサバイバル入門 システムエンジニア 生き残りの極意
過酷なSE業界を生き延びるノウハウを伝授する システムエンジニアとして長期に活躍した経験に基づく極意、ノウハウを教えます
高慢と偏見最終話 実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです! -本文-
staticを使えば、わざわざインスタンスを作る必要などない 「メンバー関数をstatic宣言すればインスタンス宣言をしなくてもいい」ということ知ってからは、メンバー関数を従来のファンクションのように使っている。
独自にクラスを作る必要などない。クラスは使うものだ。作るものではない 「自分でクラスを作ってオブジェクト指向っぽいことをしている」なんてことはまったくない。
オブジェクト指向など、実業務では使いものにならない! オブジェクト指向は、結局のところホントにモノ(オブジェクト)に使われている記法、例えばGUI コンポーネント、データベース、ファイルなどであって、プログラムのアルゴリズムとは無関係のものである。
高慢と偏見最終話 実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです! -コメント欄-
私はT大学大学院卒だ 私は学部は東北大学で大学院が東工大です。
あなたはSIerだろう。私は客側の人間だ。客の言うことは絶対だ 私はIS部門の人間なんです。SIerの客なんですよ。私に嫌われたらどうなりますか?
高慢と偏見最終話のポリモーフィズムの間違い みながわさんのブログのポリモーフィズムの間違い
ポリモリズム ポリフォーフィズム、
*みながわさんは何回かポリモーフィズムの言い間違いをしていますが、これをもじっているとみられます

今のみながわさんのコラムのタイトルとサブタイトルは違うものになっていますが、当時のみながわさんのコラムのタイトルとサブタイトルは、こちらで確認できます。

特にコメント欄の2つの発言が当時、有名になりました。色々引用されましたね。

ここまで類似点があるということは偶然ということはありえずに意図的に書かないかぎり無理かと思われます。
また細かい表現が変わっているので『フィクションです』となるという主張もあるようですが、これは言い訳の為にしかやっていないし、『炎上事件を知っている人は容易にみながわさんのブログのことを指している事がわかる』という風に解釈せざるを得ないのではないでしょうか?
他にもみながわ氏=三浦氏を伺わせるような内容はあるのですが、とりあえず幾つかあげておきます。

「ある人物をモデルにした小説を書くのであれば、その人物がやってもいないことを盛り込んではいけない。盛り込んだ場合は、誹謗中傷となる」場合がある

高慢と偏見(http://el.jibun.atmarkit.co.jp/pressenter/2011/02/post-6b95.html)
のコメント欄のespreさんへの回答です。

espre 2012年11月14日 (水) 13:02

>>警鐘であり『フィクション』というのなら、少なくとも、
>>>みながわさん、にしても、三浦マネージャーにしても、『人の話を聞く』とは、とても言えない、というのが、私の感想です。
>>というふうに、みながわさんと三浦マネージャを読み手に結び付けさせるようなコラムを書いてはダメでしょう。
>これが最大の疑問なのですが、なぜダメなのでしょうか?
>多くの新聞の社説やコラムは特定の個人をイメージして風刺
>する文章を掲載しています。これらも全てダメなのでしょうか?

まず、以下のページを参照してください。

『事実をフィクションとして書いたら名誉毀損やプライバシー侵害になりますか?』
http://www.bengo4.com/bbs/142497

つづいて、以下のページを参照してください。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/900590.html

さらに、以下のページ
http://president.jp/articles/-/2673

さらにさらに、
http://www.cyber-eraser.jp/category/1467828.html

さて、説明致します。

まず、名誉毀損罪(http://ja.wikipedia.org/wiki/名誉毀損罪)というのがあります。

これは、刑法第230条
『公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する』
とあります。少し噛み砕きますと、

公然・・・インターネット
事実を摘示し・・・『話を聞かない』、『ダメなシステムを作った』
人の名誉を毀損・・・例の人の社会的地位やSEとしての評価を落とした
事実の有無・・・・真実でも真実でなくても
となるでしょう。

つまり、大原則として、公に向かって、個人に対しての誹謗中傷を行ってはだめ(本当のことでも嘘のことでも)でしょうというふうに解釈できるでしょう。

ここまではOKですか?

続いて

刑法第230条の2
『前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。』

平たく言えば、書いた内容が真実であり、それがみんなのためであればOKということになるでしょう。

>多くの新聞の社説やコラムは特定の個人をイメージして風刺する文章を掲載しています。これらも全てダメなのでしょうか?

多くの新聞の社説やコラムはこの230条の2の範囲

・公共のため
・真実
の範囲でやっているということです。

ちなみに真実性の証明は、刑法第230条の2の要請です(法律に書いてある)。

というわけで「ある人物をモデルにした小説を書くのであれば、その人物がやってもいないことを盛り込んではいけない。盛り込んだ場合は、誹謗中傷となる」場合があるということになるでしょう。

わかりましたでしょうか?