「給付付き税額控除」議論に対する期待と不安

社会の矛盾に物申す

社会保障制度改革へ「国民会議」新設の方針…政府と与野党で「給付付き税額控除」議論、来月にも初会合

いよいよ「給付付き税額控除」について動き出したということですが、最初に私の立場を明確にしたいですが「給付付き税額控除」は賛成ではあります。
一方で、Yahooのコメントを見る限り「給付付き税額控除」はあまり人気がないらしい。これは大きな意味でのベーシックインカムで、私が知る限りここ15年ぐらい議論があり、確かに当時も「モラルハザードが起こり人が働かなくなる」と批判されていた。

社会保障を所得の再分配ということと定義すると、経済的に「恩恵を受ける層」と「負担をする層」に分かれるかと思います。
具体的には、年金だけでなく、日本の終身雇用もある意味社会保障の一端を担ってきたかと思います。つまり若いときに負担をして年齢が上がる度に恩恵を受ける仕組みである。そして定年を迎えたら年金をもらうというある意味『うまくできた制度?』といえなくもない。

ここまでならハッピーなのですが、問題はこれらの制度は必ずしも持続可能ではなく調整が必要なところかと思います。

年金で言えば、主に少子化により制度疲労(負担する人が減った)が起こり、「これでは収支がもたん」ということで今から20年程前に制度改革があり「負担」がおおむね倍になった。これは最近クローズアップされましたが、制度改革以降、年々少しずつ負担が増え、負担が倍になったのは10年程前になったかと記憶しています。

雇用慣行(終身雇用)で言えば、バブル崩壊後の経済停滞により、非正規雇用が増えこれらの人々の給料が抑えられた為、つまり恩恵にあずかれる人が減った為に、終身雇用が社会保障として機能不全を起こしているということになるかと思います。

そういう意味では、「給付付き税額控除」はこれらの恩恵から漏れた人を救うことになるということで期待が持てます。

しかしながら、「恩恵」と「負担」は国家としてはバランスさせないと持続可能ではないと考えますが、そういう意味では今の日本の社会保障は既に「このままでは持続可能ではない」ところにきているかと思われます。
つまり年金にしても終身雇用にしても、恩恵と負担がバランスしていないから改革があったわけで、新しい社会保障を作るのなら、恩恵と負担をどのようにバランスさせるか?という問題が出てくる。

社会保障は、余裕のある人は負担を行い、余裕のない人は恩恵をあずかれるという仕組みであるが、今の日本の状況を鑑みると『国全体が貧乏になったらどうするのか?』という話に集約されるような気がしています。

本来は、ある意味で社会制度の恩恵を受けておりかつ優秀であるはずの、エリート官僚や一流企業の正社員が『日本が向かうべき方向性』を示す(うまくかじ取りをする)べきでありますが、天下り問題や大企業の凋落振りを鑑みると、彼らがモラルハザードを起こしていると思われる点が残念である。
このように考えると、彼らにとって他人事である『給付付き税額控除』は、『年収の壁の議論(7兆円と言われた税負担が数千億円に矮小化されている)』のようにアリバイ的に実施されるというのが現実的なところかと思われる。

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経済対策が上手くいかない一つの理由(現場から)

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日本経済は、政府が定期的に経済対策を打っているにもかかわらず、長期的な低迷から抜け出せていません。
私自身、労働者としての人生を通して、その「横ばい」をずっと体感してきました。

それは、
・補助金が「現場を助ける仕組み」ではなく「組織を回すための仕事」になってしまっている
・補助金を扱う側にリスクがなく、受け取る側にだけリスクが集中している
など、使い方が「現場向きでない」ということに問題があるかと思います。

上記問題点について、過去の経験から考察したいです。
ちなみに、コロナ禍の補助金についてですが私も受給しましたし助かったことは事実であることを申し上げます。
その後、いくつか補助金の申請等を行いましたが、結果として助かった補助金は「直接的な金銭支援」になります。
現在、補助金は受け取っていませんが、コロナ禍も過去のものとなりインバウンド需要も復活したので補助金なしでも大丈夫となりました。こういう意味(補助金に頼らなくなる)でも持続化給付金や雇用調整助成金は大変助かりました。

一方で、違和感を持つ補助金もありました。

・IT関連の補助金で、半額で会計ソフトが購入できるということで買おうと思ったら、面倒な手続きをやった挙句に、会計ソフト単独では買えずに、使うかどうかもわからないサポートが付与されて、結局、ほぼ定価で買う金額提示をされた。
→もちろんキャンセルした。

・とある期間、使用目的が決まってたプロジェクト系の補助金で、イベントを行う為に利用したが、コロナ禍が長引いたので延長申請をしたら却下された。
→補助金は要りませんということで中止申請をしたところ、延長が認められるようになった。『延長すればいいんですね』と上から目線で言われたので「もう要らないです」と言ったらそれは都合が悪いらしく最後は『頼むから延長してくれ』になった。とある経済団体が事務局をやっていたが審査がずさんで閉口した。

・とある旅行系の補助金(旅行者が割引の恩恵を受ける)で、こちらもなぜか実施要項が細かく決まっており、補助金の申請の段階で『これは却下です』と言われて補助金を受け取れなかった。旅行者には割引で旅行をしているが追加の料金負担をお願いできるわけもなく、こちらが被った。ここまでならこちらの落ち度ということも理解できるが、次の旅行の時に事務局に詳細を確認したところ、『それはできない』と言われた。リスクを旅行会社が受ける補助金ってなんの為の補助金か理解に苦しむ。ちなみに事務局は各都道府県にあり大手の旅行会社からの出向で行われていた。つまり大手旅行会社への補助金かと勘ぐってしまいます。

・とある旅行系の補助金(旅行者が割引の恩恵を受ける)で、クーポン券の発送(宅急便)が間に合わず、離島まで運ぶというアルバイトをした。ちなみに数人で離島へ行ったが旅費が数十万かかったかと思うが配布したクーポン券は3冊だった。意義はあったかもしれないが宅急便なら1万円でおつりがくるクーポン券の発送をわざわざ数十万の旅費をかけてやることかと思う。これは1か所の旅費であるので全体では膨大な費用が発生したかと思う。

・ITプロジェクト等は失敗がつきものなので成果が出ないのは仕方ない面があるが、会社員時代は上司が『○○のお金をぶんどる』という意識でやっていた。後にその会社は辞めた。

という経験がありました。とくに『一部の企業に恩恵がある』や『補助金をとりに行く体質』を鑑みるに、現在の補正予算が大規模になっていく理由として合点が行きます。
つまり、補助金が「補助」ではなく、事実上の定期給付になってしまえば、事業者は自立できず、経済も回りません。
この構造そのものが、現在の日本経済の停滞を長引かせている一因ではないかと感じています。

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台湾有事・核武装発言と円安について、通訳ガイドとしての見通し

社会の矛盾に物申す

※本稿は特定の政策や政権を支持・批判するものではなく、通訳ガイドという職業から見た地政学リスクの整理です。

先月の首相による台湾有事に関する発言をきっかけに、日本と中国の関係は急速に冷え込み、経済面にも影響が出始めているように見えます。
台湾有事への言及は、日本側としては抑止の意図があったとしても、中国側から見れば「軍事衝突も辞さない」という意思表明と受け取られている可能性があります。見方を変えれば、中国の軍事力を軽視しているようにも映りかねない発言です。

最大の問題は、「正しいことを言えば相手は従う」という発想が、政権やその支持層の一部に見られる点ではないでしょうか。
しかし古来より、国際政治において権力は武力によって担保されてきました。そして中国は核保有国です。

多くの日本人は、中国が日本に対して核兵器を使用することを現実的に想像できないかもしれません。しかし理論上は、その可能性が完全にゼロとは言えません。例えば、米軍や米国民がほとんど存在しない、あるいは少ない地域に対して小規模な核兵器を使用することで、米国に対する牽制(脅し)とするというシナリオも考えられます。
もしそれによって米軍の関与が後退すれば、中国が台湾を占領するハードルは大きく下がるでしょう。


現在の米国大統領は、ノーベル平和賞の受賞を強く意識しているとも言われています。また、米国の相対的な一強体制が揺らぐ中で、中国との直接的な軍事衝突を避けたいという思惑が米国側にある可能性も否定できません。
もちろん、「まだ勝てるうちに相手を叩く」という考え方もあり得ますが、少なくとも米国の意思は以前ほど単純ではなくなっているように見えます。(追記)2026年1月3日に、アメリカはベネゼエラで作戦を展開し、マドゥロ大統領を拘束したとのことです。『中国に台湾進攻の口実を与える』という意見と『中国をけん制している』という意見があります。

こうした状況下で、日銀が利上げを行ったにもかかわらず円安が進んだことは、海外投資家が日本を以前よりリスクの高い投資先と見始めている可能性を示しているのではないでしょうか。その「リスク」の中身には、日本経済そのものだけでなく、日本が有事当事国になり得るという地政学的リスクも含まれていると考えられます。

さらに、政府高官がオフレコで日本の核武装の必要性に言及したという報道もありました。これは、政府内部にも中国の核リスクを現実的なものとして捉えている人がいる、という見方もできます。
中国と真正面から対峙するのであれば、核武装が理論上は必要だという議論が出てくるのも理解はできます。しかし、マスコミが「非核三原則はどうしたのか」と批判するのも当然でしょう。

問題は、こうした報道が対外的にどう受け取られるかです。
中国や他国から見れば、「日本は平和主義を放棄しつつある」と映る可能性があります。さらに中国側にとっては、「日本が核武装を完了する前に叩くべきだ」という動機付けになりかねません。
このような思考が投資家の間でもリスクシナリオとして意識され始めているのではないかと感じています。


実は、円安は通訳ガイドにとっては歓迎すべき側面があります。インバウンド需要が増え、仕事の機会も広がるからです。
しかし、今後さらに地政学リスクが高まり、海外の一般の人々が「日本は危ない国だ」と感じるようになれば、それは通訳ガイドとしても、観光業全体としても大きなマイナスです。

円安そのものよりも、円安を招いている背景が何なのか
そこを冷静に見極める必要があると感じています。


Chat GPTを使って論点整理しました。やり取りはこちらです。

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50代半ばのじいさんが、AIを目の当たりにした『大学に入ってから自分の無力感がエグい』という大学生にかけることば

老兵は死なず、AIと踊る

大学入ってから自分の無力感がエグいというXの投稿が話題になっているのですが、要約すると「AIの能力に圧倒されて、自信をなくした自分はどうしたらよいか?」という趣旨の投稿です。
文面を読んだ限りになりますが、この方は正しい感覚を持っているかと思います。
一方で、『この方がどうしたらよいか?』ということについては残念ながら責任を持った回答はできないです。いろいろ言えるでしょうが、この方の将来(つまり向こう50年)にわたってどのように行動すればよいか回答できる人はいないでしょう。
もっとも、何も言えないということでもないので、言えることについて話したいと思います。

1.自身の能力について客観的に見れている

 将来、エンジニアになる為には、このような『無力感』はある意味必要で、これはつまり自分自身を客観的に見つめることができた結果であるとも言えます。当然私もはるか昔に同じように自分の無力感を感じまして『それでもプログラミングが好き』ということで精進してきました。したがって「AIの方が圧倒的に良いコードを書く」、「自分は無力だと感じる」という反応はエンジニアとしてある意味順調な歩みを踏んでいます。

『なぜ無力感が出るのか?』というとこれは脳内にある種の矛盾が起こっているからのようです。
つまり、自分のレベルを客観視したときに、思ったより自分のレベルが低かったということに対して、脳内のある種の自己保護回路が反応して、拒否反応を起こし、このような無力感が出てるのではないか?と推測しています。
これを克服することがエンジニアとしての第一歩かと思います。

つまり勉強するしかないのですが、AIの出力をお手本としてそれを真似るようにしても良いですし、『なぜAIがこのような出力したのか?』考えるのもよいですし、『なぜ○○としたのか?』とAIに質問するのも良いかと思います。

ちなみに、AIが作ったモノという表現がありますが、今の生成AIについていうと『オリジナルの作成者』が存在します。つまりAIは模倣を行っている訳です。つまり一見、AIに丸投げして直ぐに答えが返ってくると思っているモノが、実は先人が苦労して作成したものであるということもできます。AIはそのエッセンスをアレンジしているということになります。

2.その職業に将来性があるのか?

 学生さんで今は勉強中の身なので、AIの出力が洗練されているように見えますが、細かく見れば完璧ではなく、プログラミング一つをとってもまだまだ熟練したエンジニアの方が良いコードが書けます。このあたりは大量生産された即席めんとお店で食べるラーメンとの違いということも言えます。もっとも将来的にこのような棲み分けができるのか?という問題は常にあります。伝統工芸と言えば職業として素晴らしいものと思われるかもしれませんが、実際には大量生産により駆逐された大勢の職人さんがいらっしゃいますし、絶えた伝統技術もあるでしょう。

自身が進もうとしている道が『機械と人間で棲み分けられる』のか『そのまま人間の職業としては絶滅する』かの見極めですが、向こう40年以上、職業として働く可能性がある若者に対しては『自己責任でよく考えてください』としか言えないのが実情です。

以下、ヒントになるかどうかですが、50代のじいさんがあと2,30年生きていく為に考えていることをお話してみます。
最近よく言われている、単なる通訳とか翻訳は『絶滅』の方向に行くように思えます。『通訳ガイド』も一見絶滅するように見えますが、今のところあと10年は持ちそうです。これは通訳ガイドが単なる言葉の通訳だけでなく、その場所のガイドをしたり、旅行のスケジュール管理をしたり、時には雑談相手になったりするところにあります。つまり様々な業務を複合的に行う必要があり、機械が全てを賄うのはもう少し時間がかかりそうです。通訳ガイドの仕事をもう少し説明すると、例えば若い旅行者は頼もうと思わないかもしれません。必要な情報は検索したら出てくるので、ガイドに払うお金は無駄なコストに見えるでしょう。お金に余裕のある人は、お金を払うことは苦にならないでしょう。加えて、『現地の人と交流ができる。』というのは旅の楽しみの一つでもあります。つまり、そもそも通訳ガイドを使うような人は『機械』ではなく『人間』がやるから良い(お金を払う)となります。

プログラミングに関していうと、脱落する人は多いかと思います。そもそもプログラミングと一口に言っても40年前と今では異なる部分が多いです。『Coboler』という言葉が25年程前に流行りましたが、これは当時需要が減ったCobolというプログラミング言語しかできないプログラマを揶揄する言葉ですが、Cobolしかできないプログラマはその時に転職をするか新しい言語を覚えるか?の選択を迫られました。同じようなことが今度は『全てのプログラマ』に突き付けられようとしているかと思います。
『どう作るのはなく何を作るのかを考えれば良い』という考え方もあります。要は今までは作ることに対してお金をもらっていたのだが、これからは自分でお金を生み出すようなものを作ればよい。ということのようです。この考え方ですが、通訳案内士の場合とはちょっと異なるということが分かるかと思います。このあたりにIT技術というある種の合理的な職種が持つ脆弱性が見えます。

一方で、あまり大声では言えませんが、今まで開発者として接してきた顧客の中にはIT技術は無いが長年IT関連で働いている人もいます。その人達はどのようなスキルを持っているのでしょうか?残念ながら私にはわからない世界があるようですが、ある一面ではありますが共通しているのは、下請け会社に対してごねるのが上手いまたは上手くのせて仕事をさせるのが上手い、上司に対してやる気があるように演じる能力に長けている等、その職場に居続ける嗅覚や能力が高い人が多いように思います。

最近やっている私のミッションの一つに『猫カフェの店長』があります。猫カフェ自体は大きくは儲かりませんが収入源にはなっています。当然ですが、人は生きた猫に会いに来るので『ロボット猫の猫カフェ』というのは今のところ成立しないかと思います。『ロボット猫が流行るとそもそも猫カフェに行く人が減るのではないか?』と思われるかと思いますが、うちの猫カフェですが、猫を飼っている人も来ます。猫は一匹、一匹個性があるので、新しい出会いを求めて猫カフェに来る人もいるようです。このあたりの考え方がAI(機械)によって消える職業と消えない職業をかぎ分ける目安になるかもしれません。ちなみに猫カフェを維持するミッションに「部屋や猫トイレの掃除」がありますが、これも今のところ人間しかできないようです。

失敗例を書いておいた方がよいかと思いますので追記します。AI時代のプログラミングスクールとの付き合い方にも書いているのですが、私は学生相手にプログラミングスクールをやろうとして、今はやめた方がよいと思いましてやめました。

3.大学教育について

 課題に対する評価が低いということで、『どうすれば良いのか?』ということになりますが、これは難しい問題です。
そもそも論として、生成AIが出した回答を見抜けない教授達がおかしいのですが、大学の評価が怪しいということは今に始まったことではなく、ある意味「失われた30年」の原因というのは大学にもあるということになります。

 これも昔話になりますが、私は大学時代よく「レポートの書く量が少ない」とコメントをもらっていまして落第ギリギリまたは落第点を食らっていました。ある時、課題とはまったく関係のない話を書いて量を埋めたのですが、このレポートを読んだTAがA判定を付けたのを見て、「あぁ、この大学は通う価値がないな」と実感しまして、後に大学をやめることになりました。当時はバブル崩壊直前で、私が通っていた大学はさながら就職予備校のようなものでした。学生が考えて悩むというよりも、与えられた課題をそつなくこなすという対応が求められました。このように学生に思考停止させて、社会の歯車として養成する機関はやめて正解だったと改めて感じています。

じゃ、「大学に行く価値はないのか?」ということになるのですが、『大学は、企業から新卒採用をとってもらう為の手段』と割り切れるかどうか、さらに『この大学を卒業したらきちんとした企業雇ってもらえるかどうか?』ににかかっているかと思います。

4. 日本の雇用慣行について

日本の雇用慣行、特に年功序列と終身雇用は、AI時代を迎える中で見直されつつあります。若い世代から見直されるのも当然です。終身雇用は労働者に安心感を与える一方、企業にとってはリスクが大きい制度です。1990年代以降のリストラや倒産は、この矛盾が露呈した結果でしょう。経済環境の変化に対応できず、企業は成果を上げながら雇用を維持できなくなり、労働者を非正規化せざるを得ませんでした。これも「失われた30年」の一因となっています。

さらに、AIや自動化が普及する現代では、終身雇用が労働者の成長を阻害する側面も見逃せません。例えば「働かないおじさん」と呼ばれる層は、制度に甘んじてスキルアップを怠る傾向があります。一方、SES(システムエンジニアリングサービス)や保険セールスなど、高ストレス職種では体力や精神力の限界から早期退職を余儀なくされ、非正規雇用へと転落するケースも少なくありません。

今後の課題は、終身雇用と成果主義のバランスをいかに取るかです。AIが人間の仕事を代替する中で、労働者が継続的にスキルを磨ける環境を整える必要があります。同時に、企業は非正規労働者の処遇改善や、リスクを分担する新たな雇用モデルを模索すべきでしょう。2025年現在も黒字企業がリストラを行う状況は、雇用慣行の抜本的な見直しを迫っています。

AIが今後どのように発展するか?日本の経済は今度上向くのか?、あまりにも不透明で私も含めて今の労働者にとって将来を見通すことは無理だといえるでしょう。ということで頑張ってくださいとしかいいようがないのが現状かと思います。

この記事ですが、「若者に寄り添っていない」という指摘を受けまして、プログラミングスクールとの付き合い方ということで若者向けの記事をアップしました。

老兵は死なず、AIと踊る

なぜ日本のITは遅れ続けるのか

オブジェクト指向再考 連載目次

――誤解と判断力の欠如が生む構造的リスク

第1章 判断できない組織のリスク

日本のIT産業が遅れている理由は、単なる技術力の差ではない。
現場での「判断力」を軽視する文化が、構造的な停滞を生んでいる。

経営が「最短の正解」を求めると、エンジニアは思考よりも指示の再現を優先するようになる。
結果として、「仕様通りに作る」ことが評価され、「正しく判断する」力が失われていく。

この文化は、プロジェクトを一見スムーズに見せるが、問題の根を放置したまま進むため、後工程で破綻を生む。
残念ながら「仕様書」は常に正しいとは限らず、完璧でもない。
判断できないエンジニアは、間違った仕様に基づいてシステムを構築してしまうし、完璧でない仕様書を前にすると、手を止めてしまう。

判断を封じた組織は、問題が発生しても修正できない。
それが、「失敗を繰り返す日本のIT構造」である。


第2章 SNS・マスコミ・勉強会が作った虚像

数年前、ネット上で「staticおじさん」という呼称が生まれた。
あるエンジニアが「オブジェクト指向を使わない」という判断をしたことをきっかけに、
SNS上で「オブジェクト指向を理解できない老害エンジニア」として揶揄されたのである。

しかし実際の現場では、この「老害エンジニア」と呼ばれた人々こそ、
長年にわたりシステムを安定的に稼働させ、数多くのプロジェクトを支えてきた主力層であった。

だが、ネット記事や勉強会での誤解や簡略化が進むうちに、
「古い技術者=悪」とする物語が独り歩きしてしまった。
SNSや勉強会では、非エンジニアもこの議論に参加し、
「正しい技術の形」を安易に語る空気が生まれた。
それが、現場での健全な議論をも蝕んでいったのである。


第3章 SES構造と粗製乱造の危機

SES(システムエンジニアリングサービス)は、短期的には人員不足を補う仕組みとして機能している。
しかし、即戦力を求めすぎるあまり、エンジニアの自由な思考や技術習得の時間を奪ってしまう。

2025年現在、こうした安易な人材育成を政府が後押ししている面がある。
「デジタル人材育成のための『実践の場』開拓モデル事業」は、その典型だ。
本来は人材育成を目的とした制度であるが、現実にはSES構造の延命に利用され、
短期育成・早期投入による「粗製乱造」が進んでいる。

十分な学習機会がなくSESで派遣されたエンジニアは、正常な判断ができず、
SNS上の誤った知識の伝搬や、固定化された正解主義の文化にさらに晒される。
その結果、プロジェクトの現場では、思考を止めた「作業者」が増えていく。


第4章 経営者が問われる「誰を雇うか」

非エンジニアを安易に開発現場へ入れると、判断の混乱が起こる。
プロジェクトマネージャが優秀であれば協働は可能だが、
実際には「プロのマネージャ」はエンジニア以上に希少である。

経営者に問われるのは、「どんな人を雇うか」だけではなく、
「どんな判断を許す文化を作るか」である。
判断力を育てるには、失敗を許容する余白と、考える時間を保障しなければならない。
その余白を「余分なコスト」と見なす企業に、技術は根付かない。

例えば、「オブジェクト指向を使わない選択」や「既存の非オブジェクト指向資産を活かす判断」は、
適切な判断を行っている可能性が高い。
もちろん「オブジェクト指向を使う選択=不適切な判断」ではないが、
その欠点を理解している必要がある。

炎上プロジェクトは、「エンジニア」と「非エンジニア」を見分ける格好の機会である。
普段から技術論を声高に語る自称エンジニアが、炎上した途端に理由をつけて逃げることがある。
一方で、普段は口数の少ないエンジニアが、現場を立て直すことがある。

「プロジェクトに責任をとれる人がエンジニア」であり、
「正しい判断ができるエンジニア」は、最終的にプロジェクトをゴールへと導く。
経営者としては、このような人物を見分ける「目」が求められる。


結論 ――経営者が持つべき「技術を見る目」

技術力の本質は知識の量ではなく、判断の質で決まる。
正解主義が支配する組織では、判断力が失われる。
誤った知識の伝搬と即戦力主義は、経営が気付かないうちに、
組織の判断力を蝕み、日本のITの停滞を再生産している。

経営者がまず行うべきことは、「判断するエンジニア」を育てる環境を整えることだ。
それには、自身が技術に明るくなるか、信頼できるエンジニアやマネージャを確保することも重要である。
それができない限り、日本のデジタル化は、どれほど予算を投じても前に進まない。

AIがコードを書く時代になろうとしている今こそ、
経営者に求められているのは「正解を知る力」ではなく、
「判断できる人材を見抜く力」である。


この文章は、ChatGPTとの共同作業により作られています。

エンジニアと非エンジニア

オブジェクト指向再考 連載目次

―「staticおじさん」というモデルが歪められた物語―

「staticおじさん」という言葉が生まれたのは、十数年前のあるネット記事がきっかけだった。
とあるエンジニアが、「オブジェクト指向がわからない」と率直に書いた。
コメント欄では賛否が分かれ、議論は次第に激しさを増していった。
やがて、その人物の主張の一部だけが切り取られ、「オブジェクト指向を理解できない頑固な人」というレッテルが貼られた。
その象徴的な呼び名として登場したのが「staticおじさん」である。

つまり、“staticおじさん”にはモデルが存在した。
だがその人物は、もともと技術を語っていただけだ。
しかし、ネット文化は誠実な議論よりも“わかりやすい敵”を好む。
その結果、個人の発言が物語化され、「古い技術に固執する老害エンジニア」という虚像が作られていった。

オブジェクト指向の議論という技術的テーマが、いつしか「世代対立」「価値観の断絶」といった社会的物語にすり替えられたのである。
“理解しようとしない人”という構図は、読む人に安心感を与える。
自分は「新しい側」に立っているという錯覚をくれるからだ。
こうして、一人のエンジニアの誤解が、ネット全体の“物語”に変わっていった。


勉強会と「リアルな虚像」

やがて、この物語は一部の勉強会にも持ち込まれたことがある。
勉強会自体は知識を共有する素晴らしい文化だ。
ただ、非エンジニアや若手が参加する場では、
「staticおじさん=古い考えの象徴」というイメージが語られることがあった。

そこには、本来の人物像も、元の記事の文脈も存在しない。
ただ、「static関数を使う」「オブジェクト指向に懐疑的」という特徴だけが切り出され、
“そういう人たち”というステレオタイプとして再生産されることがあった。

実際、当時の技術コミュニティでは、
「なぜそう考えるのか」よりも「どちらが正しいか」が重視されていた。
正解主義の文化の中で、
“反対意見を持つ人”は「理解できない人」として扱われた。
そしてそれが笑い話として語られることで、
“老害”という言葉が社会的な正義の衣をまとったのである。


「staticおじさん」は誰だったのか

本当の“staticおじさん”とは誰だったのか。
それは、一人のエンジニアの名前ではなく、
「自分の考えを曲げずに語ろうとした人」そのものだったのかもしれない。

技術は時代とともに変わる。
だが、変わらない信念や疑問を持ち続ける人は、いつの時代にもいる。
その存在を“老害”と切り捨てた瞬間、
私たちは「考える自由」そのものを失う。

オブジェクト指向のメッキが剥がれた今、
私たちはもう一度、あの議論を思い出すべきだ。
それは「正しさ」の争いではなく、
“責任ある思考”をどう持つかという問いだったのではないか。


責任ある物語へ

物語は人を動かす力を持つ。
だが、嘘の物語は、いつか誰かの現実を壊す。

「staticおじさん」という言葉を笑ったあの日から、十数年。
オブジェクト指向の理想は現実に疲れ、
AIがコードを書く時代になろうとしている今、
私たちはなお物語を作り続けている。

だからこそ、今こそ「責任ある物語」が必要だ。
誰かを貶めることで安心を得る物語ではなく、
異なる立場を理解し、語り合う物語を。
それが、技術文化を再び人間の手に取り戻す唯一の道だろう。


この文章は、ChatGPTとの共同作業により作られています。

正解主義の文化とプログラミング教育の危うさ

オブジェクト指向再考 連載目次

―「考える力」と「信じる安心感」のあいだで―

前回は「staticおじさん」現象を手がかりに、
ネット社会における“同調の構造”と“技術信仰”について考えました。
今回はそこから一歩進めて、
「なぜ私たちは“正解”を求めすぎるのか?」というテーマを扱ってみたいと思います。


「正しい答え」を求めすぎる社会

技術の世界、とくに日本のエンジニア文化では、
「正しい答えを知ること」自体が目的化してしまう傾向があります。
これは学校教育の影響が大きいでしょう。
正解が一つに定まるテスト文化の中で、
「悩むこと」や「保留すること」が評価されにくかった。

プログラミング教育にもその名残があります。
クリーンアーキテクチャ、デザインパターン、SOLID原則……
“正しい書き方”は数多く提示されますが、
それらがどんな文脈で、どんな痛みから生まれたのかを学ぶ機会はほとんどありません。

結果として、手法は暗記され、思想は抜け落ちる。
そして、「何が正しいか」だけが一人歩きするのです。


「正しさ」の呪い

こうした文化の中で、「正しさ」は一種の呪いになります。
何か新しい設計を提案すれば、すぐに「それは間違いだ」と反応が返ってくる。
それが本当に間違いなのかどうかではなく、
“教科書(コードコンプリート)に書かれていない”というだけで排除されるのです。

この現象の根底には、「考えることの恐怖」があります。
自ら考えるという行為は、
自分の中に“わからない”を抱えることでもある。
しかし、わからないままでいることに耐えられない人々は、
「答えを持つ人」に安心を求めてしまいます。
それが宗教のように“信じる技術文化”を生むのです。


プログラミング教育の逆説

教育現場では、「考える力を育てる」と言われます。
しかし、現実には「模範解答を暗記する力」が評価されがちです。
プログラミング教育においても、
“どの言語を使うか”“どの設計が正しいか”といった形式面に議論が集中し、
「なぜそうするのか」「どんな痛みを避けたいのか」といった
本質的な問いが置き去りにされています。

たとえば、「グローバル変数は悪」という常識があります。
しかし、それがどのような歴史的背景で「悪」とされたのかを知る学生はほとんどいません。
そこに文脈がないまま、「禁止事項」としてだけ教えられる。
それでは“思考するエンジニア”は育ちません。


「正解」よりも「判断」

これからのプログラミング教育、あるいは技術文化全体に必要なのは、
「正解を教える」ことではなく「判断を育てる」ことだと思います。

正解は、過去のある時点で有効だった一つの答えにすぎません。
しかし判断とは、目の前の状況・制約・目的に照らして、
「今回はこうする」と決めることです。
そしてその判断の積み重ねが、経験であり、設計力になります。

つまり、“正しさ”は借りられるが、“判断”は自分でしか育てられない。
その違いを理解しないまま、
「正解主義」に取り憑かれた技術文化はいつまでも他人の理想を追い続けるだけです。


「考え続ける」という勇気

結局のところ、プログラミングとは「考え続ける行為」です。
最適解など存在せず、昨日の正解が今日には不適切になっていることも珍しくありません。

それでも、他人の正解にすがらず、
自分の頭で考え続ける――その不安を抱えながらも歩み続けること。
それこそが、技術者(エンジニア)としての誇りであり、自由の証なのではないでしょうか。


この文章は、ChatGPTとの共同作業により作られています。

35歳からのSESについて考える

老兵は死なず、AIと踊る

 以前にYoutubeでアップした動画(デジタル人材育成のための「実践の場」開拓モデル事業に与太話的に物申す)にコメントをもらいました。

 コメントされた方は、『この事業に参加してSES企業に入り2か月の研修で経歴詐称して客先に派遣されそうになった』ということで、大変憤慨されておられるようです。実は日本の中小のIT会社の多くはSES企業(つまり人売り企業)になります。見分け方の一つになりますが、入社したい会社の会社概要のページに「労働者派遣事業 許可番号 」というものがあればSESもやっている企業になります。もっとも全ての会社がきちんと労働者派遣事業許可番号をとっているか怪しいところもあるのでこの番号がないからといってSESをやっていないとは限らないので注意が必要です。

 SESとは「システムエンジニアリングサービス」の略で、要は派遣なのですが、派遣と言えば場合によっては違法になるので、客先常駐といったりSESといったりしています。私の知る限り少なくとも35年以上前からあり、30年前にはSESという言葉ができていたかと記憶しています。15年程前にはデジタル土方と言われるようになったかと記憶しています。経歴詐称も昔からあり、業務経歴書を見ながら面談をして『これは嘘だな』と思ったこともありました。ちなみに、建前上は面談(面接)はご法度ですが、実際にはコメント主のように『未経験者が偽って入ってくる』ということもあるので面談してある程度(実際の実力)を見てフィルターをかけないとお金をドブに捨てることになります。

このSESですが、悪しき習慣といわれていますが、一向になくならないだけでなく、最近では裁判沙汰になったりもしています。求職者の方々はこういうヤバイ会社には引っかからないようにしたいところですが、SESにもメリットというのは存在します。

SESのメリット

  • 顧客:雇用の調整弁になっている。正規や非正規でエンジニアを雇うよりも簡単に首が切れる。
  • SES企業:請負契約でシステムを構築するよりリスクがない。収支が読める。
  • 労働者:未経験者でも就業ができる(経験ができる)。短期かつ残業代がでるのなら正規雇用より儲かる。嫌なら後腐れなく辞めれる。向いている人がいる。

 顧客企業にとっては、非正規社員以上に合法的に労働者の首を切れることになります。あまり具体的なことは言えませんが、長い年月を経て多くの人が職場を去っていった後に、私自身も去ったことがあります(もっともこれは自らになりますので首を切られたというのはちょっと違います)。

本来ソフトウェア開発というのは請負契約で行うものなのですが、これは受注企業にとってはリスクがあります。特に顧客企業にソフトウェア開発の知見が無い場合は案件が赤字で終了する可能性があります。これを避ける為に準委任契約(SES契約)を行い、要は定額料金ではなく労働者が稼働したらその分課金するということを行います。
自ら作ったサービスを売るということもあります。こちらは王道と言えますが、当然にサービスが売れないというリスクがあり、赤字になれば、SES契約でエンジニアを売り、日銭を稼ぐという手段に出ます。
このようにSES契約が全て悪ということもないのですが、一度SES契約の味をしめると企業自体が努力をしなくなります。つまり請負契約で失敗しないように経験を積むとか顧客が求めているサービスをひねり出すという努力をしなくなります。

労働者にとってのメリットは『SESは未経験者の登竜門』ということも言えます。『経歴詐称はどうなるんだ?』と思われるかと思いますが、多くの場合、雇う側も経歴詐称であることを気が付いています。また、経歴書に詐称がなくても実際にプロジェクトに貢献していたかどうかというのもあり、実務的な観点からみると経歴詐称が一概に悪いとも断言できないところもあります。『じゃなぜ経歴詐称をするんだ』と思われるかと思いますが、これは受け入れ側の企業が書類選考をちゃんとしているという安心感を得る為にあります。もちろんですがプロジェクトによっては、経験者が求められていることがあったりするのでその場合に経歴詐称されると労働者があとで困ることになります。

SESのデメリット

もちろんSESのデメリットもあります。

  • 中間搾取、人月商売の横行が横行する こういう商習慣(人もモノとして扱う)が蔓延すると業界のレベルアップにならないです。個人のスキルに依存するのでチームとしてやプロジェクトの成長が期待できない。日本のITが伸びない理由の一つになっているかと思う。
  • エンジニアとして現場で使う以外の技術が身につかない 余暇を利用して新しい技術を吸収する(自己学習ができる人)が求められます。
  • IT土方として雇われてるのでエンジニアの社会常識が育たない 本人達は社会常識を持っていると思っているようで厄介ですが、ビジネスの話ができない人が多いです。実際にSESエンジニア上がりのある人に仕事の依頼の話をしたら、なぜかこちらが受注者として話が進んことがあり、こっちは発注者として仕事を頼んでいるのだが、なぜこのような勘違いをするのか相手の社会的な常識を疑ってしまった。ちなみに通訳案内士界隈も癖のある人が多いが、それでも友人と呼べる人はいるが、ITエンジニアの友人は残念ながら少ないです。
  • 顧客からのフィードバックが「契約終了」でエンジニアとしての見通しがたてられない 契約終了に関してエンジニア自身に具体的な原因がある場合、本来ならそのフィードバックがないとエンジニアが育たないが、そういう学習機会がそがれるので成長ができない。また、突然に契約終了となるとある種の失業状態になるので、エンジニアのライフスタイルが見通しにくい、40代ぐらいでSESが終了した場合割と困る。

労働者にとっての最大のデメリットは『SESは人売り』になるということで、これに耐えられない人が一定数います。このような方はSES企業には近づかない方がよいです。

ちなみに、私自身は総合的にはむしろSESで客先に常駐する方が気が楽な面があります。それでも会社として誰かを客先に出すというのはやりたくないです。

アドバイス

最後になりますが、未経験で35歳からIT業界に転職させる方に対してアドバイスするとなると以下の点を考慮されたうえでどうするか考えたほうがよいかと思います。

  • 未経験者がIT業界に入るとSESに捕まる確率が高い。実力がないうちはSESを避けて通るのは厳しい。SESに関しては向いている人と向いていない人がいるので、SESが嫌なら日本のソフトウェア開発会社は避けたほうがよい。
  • 本来、中途採用となると即戦力が求められ、新卒採用とは異なることを理解する。先輩とか上司に頼ることはできないと考えたほうがよい。
  • そもそも、SES企業の先輩とか上司自体がエンジニアとしてもいわゆるメンターとしてもきちんとしているかどうか怪しい。
  • 職場環境やその会社の業界の位置づけ、今やっている仕事等を考慮すると、キャリアアップするには転職が必要となる場合がある。実力が付いたらそれに相応しい会社に転職することも視野に入れる。
  • その職場に居続けるという選択肢もあるが、SES企業の場合、終身雇用との相性が悪い(辞めていく人間が多い)。その会社の規模や将来性、社歴と年齢構成(例えば創業から40年のSES企業で、50代の社員が少なく若い人しかいない会社というのは歳をとったら辞めていくと考えたほうがよい)、等を考慮する必要がある。例えば、今、新卒で入った会社で本当に将来性がないのか?、定年まで働けないかを今一度自問自動したほうがよい。
  • IT業界は『モノづくり』範疇に入るが、モノづくりの難しさ(完成させなければならない)を理解して、自分自身がモノづくりの適性(プログラムが意図どおりに動くと何とも言えない高揚感がある等)があるかどうか見極める。
  • 仕事に対しての困難さをどこかで楽しめるようでないと厳しい。
  • 自己学習を続ける必要がある。平均、一日に2,3時間は勉強時間を確保する必要がある。もちろん仕事が忙しいときは仕事に集中する必要がある。暇なときに勉強ができるかどうかがカギになる。
  • AIの台頭についてアンテナを張る。悲観的な見方をすると将来は開発の仕事はAIにとって代わられる。それが何時かということで他の職種も並行して勉強しなけれならない。

と厳しいことを書いていますが、実際には、きちんとできていないエンジニアが多いのも事実です。また、仕事が好きになれるのなら割と何とかなったりします。(私の場合、コンピュータが動いている様をみるのが好きで、面倒な顧客対応をしてイライラしてたのですが、そのあとコンピュータをいじっていたらやる気が出たりしてました。)

SES契約についてChatGPTで遊んでみました。

追記、少し別の角度ですが、AIによる自己学習の可能性について、プログラミングスクールとの付き合い方という記事にしました。

老兵は死なず、AIと踊る

マイナ保険証(2025年7月)資格確認証を入手しました

 Youtubeの方ではマイナンバー問題ということでちょいちょい動画をアップいましたが(こちらが再生リストになります)、ここ数か月動画の更新をさぼっていましたが、この度資格確認証を入手しましたのでそれについての記事になります。

資格確認証を取得するメリット(ほぼ今までどおり保険診療が受けられる)

 マイナ保険証については過去にトラブルが発生しその検証・対策もまるで素人がやっているようで(詳しくはマイナンバー問題)、今後もきちんと運用がされるかどうか怪しいところがあります。
こういう状況で安心して保険診療を受けられるようにするには『資格確認証を取得する』ことが選択肢になるでしょう。具体的には、マイナ保険証の利用登録解除(および場合により多少の追加手続き)を行うと「資格確認証」が送られてくるようになります。これは従来の保険証とほぼ同じものであり、今後も従来どおりの保険診療が受けられるようになります。政府は「デジタルだ!」といいながら、不完全な(ベータ版としか言いようのない)システムを導入しているが、そんな不完全なシステムが引き起こすトラブルにいちいち付き合う必要はないでしょう。
ちなみに、2025年7月時点での利用登録解除は数万件程度であり、今の段階では比較的スムースに登録解除ができるようです。今年は私のマイナンバーカードの更新年で、新しいカードを取得するのに2か月半かかったが、利用登録解除はそれよりはるかい迅速に手続きができるようです。一度登録解除を行い、二度と登録しないようにすれば、今までどおり安心して保険診療が受けられるようになります。

マイナ保険証でよいのではないか?

 現在、マイナ保険証を利用しており特段問題がない方はそのまま利用するのも手であります。
もっとも、マイナ保険証を利用するには2つ程注意点があります。
1点目は、マイナ保険証での受付が出来ない場合があるということで政府をそれに対する対応策を示しています。要はマイナ保険証だけでなく「資格情報のお知らせ」を持った方がよいということで、マイナ保険証だけでは窓口でトラブルとなる可能性がある。
2点目は、マイナンバーカード(電子証明書)の有効期限を意識しなければならないことで、5年目(5回目の誕生日)で電子証明書の更新があり、10年目(10回目の誕生日)でマイナンバーカードの更新があります。更新を忘れるとマイナ保険証が使えなくなる。『その場合どうなるか?』ということがあるが、最終的には資格確認証が送られてくることになるが、それなら資格確認証でよいということになる。
もちろん、今後システムの完成度が上がり、マイナンバーカードの更新が習慣化すればマイナ保険証で受診するのが当たり前となるかと思われるが、時間はかかるかと思われる。

マイナ保険証の利用登録解除とそのデメリット

 利用登録解除を行うには、保険者(保険証に記載がある)に連絡することになる。保険者の名称からWEBで検索を行ってホームページから『利用登録解除』の方法を調べることになる。国民健康保険・後期高齢者医療保険は市町村に問い合わせることになる。サラリーマン等のいわゆる厚生年金加入者は健康保険組合と呼ばれる団体に問い合わせることになる。
サラリーマンの方が利用登録解除を行い、資格確認証を取得しようとすると、場合によっては資格確認証が会社に送られてくるかもしれない。多くの中小企業が入っている全国健康保険協会(いわゆる協会けんぽ)の東京支部の場合は、会社に送られてきた。また全国健康保険協会は会社に対して従業員に『マイナ保険証を使うように』と通知を行っており会社員の方にとってはプレッシャーとなるかもしれない。その他、確定申告時に医療費控除を受ける際に領収書を集めておかなければならないとか一定の不便さがある(このあたりは従来どおりと言えば従来どおりである)ので今一度、マイナ保険証のメリットを再確認して、メリットが失われた場合に本当に困らないかどうか、念の為、確認する必要があるでしょう。

変な人

ここ1年ほど続いた炎上プロジェクトですが、奇跡的(?)にやっと落ち着き定常運転ができるようになったのですが、やることはまだまだたくさんあるので全くもってヒマがないので、更新もすっかりご無沙汰になったのですが、そのおかげで変な人の付きまとい行為も減り結果オーケーではある。

変な人というと総務省が、「独創的な人向け特別枠(仮称)(通称:変な人)」というのを募集するようです。

『「Disruptive Change」:世界的に予測のつかないICT分野において、破壊的な地球規模の価値創造を生み出すために、大いなる可能性がある奇想天外でアンビシャスなICT技術課題に挑戦する人を支援。閉塞感を打破し、異色多様性を拓く。』
とか
『*ゴールへの道筋が明確になる価値ある「失敗」を奨励』
ということで、来年あたりならヒマができるのでADPを引っ提げて応募しようかと考え、調べていたら色々思うことがあるので、コメントします。

そもそもなぜこのような政策を実行するのか?つまりこの政策の背景ですが、『イノベーション創出委員会』ということろがとりまとめを行っています。とりまとめの案が以下から読めます。
イノベーション創出委員会最終とりまとめ(案)に対する意見の募集

あとインタビュー記事が以下にあります。
「俺の言うことがわからん奴はバカ」という人が欲しい–総務省のイノベーション創出事業“変な人”

これらをみて思ったのは、やはり日本は衰退に向かっているんだということで、さらに残念なことに国家や大企業ではそれを克服できないんだなということです。私の経験から一言で言えば潰れかけの会社が色々足掻いているという印象がぬぐえないです。
もちろん、座して死を待つよりは遥かにましですし何事もチャレンジすることはいいのですが、例えば、上記の記事をみますと変な人の育成方法は、『いまのところ決まっていない。』とか、いやいや人任せにせずにそれぐらいは自分で決めましょう突っ込みが出てきて思わず心配してしまいます。

また、
『「なぜ“変な人”という表現ではダメなんだ。“独創的な人”より伝わりやすいじゃないか。これだからイノベーションが起きないんだよ」―こう指摘したのは元総務副大臣の○○○○という。』
については、言葉尻をとらえた本質的でない所で熱く議論をしているんだ税金を使って・・・と思わざるを得ない。まぁ成長が鈍化した会社の会議なんかで見る光景ではあるのですが・・・。
イノベーションとは常識を理解した人があえてそれを破ることから起こると考えているのだが、つまり温故知新ですね。スティーブ・ジョブズの例で言えば、Macintoshの開発逸話を読めば、彼が変な人だとは思わないはずで、卓越したプロデューサーというのが私の印象になります。まぁ私にはできないですね。

記事では変な人を探す理由として、イノベーションのジレンマをあげています。
イノベーションのジレンマとはWikipediaによると『巨大企業が新興企業の前に力を失う理由を説明した企業経営の理論』ということです。つまりイノベーションのジレンマとは今の日本の状況を説明するものではなく単に大企業が衰退する理論的な説明にしかすぎないです。まぁ日本の新陳代謝を促す為、世界で戦えない大企業に関しては潰れて頂いてもよいかと思うのでイノベーションのジレンマは歓迎ということになります。
ちなみに記事からはあたかも今の日本ではイノベーションが起こっていないという印象を受けますが、日本でイノベーションは私の半径3メートルでもみることができる。
ほんの5年前までは、ガラケーを使いながら『スマホってなに?』といっていた人たちが今ではスマホでガンガンゲームをやっている。スマホ歴自体は私の方が長い(7年以上)のだが、その適応力をみると個々人でみた場合、日本人のテクノロジーを扱うポテンシャルは全く衰えていないと実感する。スマホは確かに海外発のテクノロジーかもしれませんがその中に入っているアプリは日本で作成されいます。
『たかがスマホのゲーム』と思うかもしれないが、5年前と今で電車内の人のようすを比べますとまさにイノベーションが起こったといってもよいでしょう。

というわけで、政府や大企業が危機感を持っているのは解ったのですが、まぁ既得権益を享受している組織は、今の状況は芳しくないと考えているようですが、破壊的イノベーションはそういう既得権益者が破壊されるとこではないのか?という疑問が出てくるのですがどうだろうか?

ちなみに私の半径3メートル以内の話になりますが、個人に入るかどうかは別として優秀な人はそれなりにお金をもらって仕事をしており、300万では対したことができないのだが、相場というものを理解していないのでしょうか?もっとも例えばこの事業が自宅警備員のような方に対する支援なら全くもって理解できなくもないですが、それでも『金は出せないがお前ら頑張れ』という昔居た会社の上司が言っていたセリフが思い出されます。その返答としては、だったら君たちがその金でイノベーションを起こしなさい、ということで今年の応募は見送りますが、もっとも何事もチャレンジすることはよいことですので、ちょいちょい様子をみてみましょう。